力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

ピアノ演奏者の重心線について

クラシックコンサートへは年に数回出かけますが、最近気になった演奏がありました。

ピアノコンチェルトでピアノ演奏者が舞台袖から現れた時に腰が引けた状態で歩いて出てこられたのです。

(私にはそう見えただけで、他の方はわかりませんが演奏が終わって妻に話すとそう言われるとそうかな~という程度)

腰でも痛められたのか、その様な状態で演奏出来るのか心配で見ていました。一応お辞儀は普通にされましたが、曲が始まりピアノパート以外の間、右手をピアノに掛け、左足の膝から下を後ろに引き身体を前後で支えている姿勢をとられている様に見えたので、演奏中ヒヤヒヤしながら聴いていました。

演奏は大曲をそつなくこなされ盛大な拍手を受けておられました。

難しい曲を淡々とこなすテクニックは素晴らしかったのですが、何故か私の身体に響いて来なかったのです。

ヒヤヒヤしていた事もあったのですが、演奏者の身体にも響いていなかったのでは?だから演奏者と共鳴することができなかったのか?といろいろ考えていると、演奏等人に響かせるためには、音楽性や演奏技術のほかに身体性が必須の条件ではないかと結論めいてきました。

今回の演奏のように身体性が低下した状態では伝わり方が弱まり、せっかくのパフォーマンスが減衰した形で伝わってしまう可能性がある様に感じたのです。

特に腰という中心が後方に崩れている状態は、座っていても身体が落ち着かず、安定させる為に身体が自然に力を入れて反射的に身体を緊張させる座り方になるはずです。

この緊張は、震わせ響かせる身体の邪魔になることは目に見えています。

緊張を取り除いた状態で演奏を行うには、重心線と身体を一致させる事。

物理的に当たり前のようですが、稽古を通じて本当に出来ていない事を経験します。

それは、自分でも知らないうちに身体が勝手に一致させようと頑張っている様子に気付くからです。この頑張りをほぼゼロにした時一致したと実感します。

 武術的身体を目指す上で身体の重心線は、重要な要素であり常に意識して捉えなければなりません。それは、重心線の位置に身体を維持することにより身体の重さを消す事ができるからです。

身体の重さが無くなれば、軽々と身体を扱えるイメージはできると思います。

重心線という実際には存在しない抽象的なものは重さもありませんので、その上に身体をきちんと合わせられた時本当に身体の重みが消える事が実感できます。

ただ、重心線はどなたにも何にでもあるのですが、きちんと当たり前にそこにしかない状態を作り出すことが難しいようです。つい力で維持しようとしてしまいます。

まして、動作を行えば必ず重心及び重心線は移動します。

この移動においてもつい力で行ってしまいがちです。力を出力することで重心線から身体が外れてしまいます。そこで重心線と身体の位置関係にズレが生じ、そのズレを補正するため新たに力を出力してしまうサイクルが出来てしまいます。

そうではなく、力を出力せず身体を動かす方法を取ることでズレを生じさせない動きとなるのです。

身体に力を入れて動かすのではなく、身体を支えている力を抜くことで重心線が倒れ掛かる様に動くと共に身体を捌く身体の動かし方。

イメージで言うと大木を切り倒す時に、無理やり引き倒すのではなく根元で楔形に切り込んだ方向に勝手に倒れる感じでしょうか。

大木であれば重心線と大木自体のズレはないはずですですが、ヒトはどうもグニャとズレてしまい易いようです。。