力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

ポルシェのような身体と身のこなしは技術の最先端

以前門人だった一人がポルシェ(余り詳しくないのですが確かケイマンS)オーナになり一度乗せていただいたことがありました。その時いろいろ薀蓄を聞いた中で印象に残った言葉がありました。

「まるで先生(師)のよう」

始めは何のことだか判りませんでした。

言った本人も言葉にならず、感覚的に「なんかこうカチッとしてる、固い感じ」を「まるで先生(師)のよう」だと表現されました。

普段から、力を抜き、柔らかくぶつからない動きを念頭に稽古を続けてきた中でカチッとした固い感じが師の動きとリンクすることが出来ずピンと来なかったのです。

そこでふと「ポルシェ ハンドリング」でググッて見たところ下記のような記事を見つけ感心してしまいました。

ハンドリングについてはとにかく「正確」としか言いようがなく、いったいどうやったらこんなに曲がる車ができるんだろうな、と思えるほど。
FRのようにフロントに荷重を乗せずともミドシップ特有の回頭性の良さを見せてクルリと回り、911のようにアクセル操作に気を使うこともなく、「楽しく」右に左にと身軽に舞うことができるクルマですね。

ステアリングで感じた「精密さ」はブレーキ、アクセル操作においても同様。
ポルシェはまさに「アクセルを踏んだら踏んだだけ加速して、ハンドルを切ったら切っただけ曲がって、ブレーキを踏めば踏んだだけ止まる」クルマ。

実に単純明快ですが、それでも世の中のクルマの多くはこれができない、とぼくは認識しています。
アクセルを踏んでも加速しないクルマもあり、逆に出だしはグワっと出てもそこから加速せずに「あれれ」な車があったり。
ステアリング操作も同様で、ほとんどの車は(安全上の理由からか)アンダーステア
ブレーキングも同様で「想像した位置で止まらない」クルマがほとんど。

ただしポルシェの場合は完全に自分が思った通りの、そして自分の感覚と相違のない動きをしてくれるわけですね。
これが徳大寺有恒氏が言った「ポルシェという車は、そこへ行こうと思った時にはもうそこにいる車である」ということで、まるで自分の体のように、意識した時にはもうその動作を完了しているクルマである、と考えています(ポルシェを”着る”という表現があるが、それもよく理解できる)。

ただ、その身のこなしがあまりに自然であるためにその素晴らしさに気づかない場合も多いと思われ、とくに「初めてポルシェに乗る」人は普通すぎてなにも感じないかも。
しかし他の車で同じ道を同じように走ってみれば必ず718ケイマンは「実は他の車にできないことができる車だった」ということに気づくはずだ、と考えています(そう、ポルシェは他の車がとうていできないことを普通にやってしまう)。http://intensive911.com/?p=130384

彼が言いたかった「カチッと固い」とはこの事だとようやく判ったのです。

とにかく「正確」としか言いようのないハンドリング、「精密さ」はブレーキアクセル操作も、ポルシェはまさに「アクセルを踏んだら踏んだだけ加速して、ハンドルを切ったら切っただけ曲がって、ブレーキを踏めば踏んだだけ止まる」クルマ。

当たり前といえば当たり前なのですが他車にはない正確かつ精密さを現し、これらの動きを身体に当てはめて表現するとカチッと固いと言う言葉になったのです。思いと動きが一致している状態は一切の無駄な動きがない。

一般的には脳で命令してから動作に至るまでに必ずタイムラグがあり、またコントロールが甘いと動きにロスが生じ命令どおり動作できず動きのむらや無駄が起こります、一般的動作はこの当たり前のような、正確で緻密な動作は普通ほぼ出来ていません。

 

また徳大寺有恒氏が言った「ポルシェという車は、そこへ行こうと思った時にはもうそこにいる車である」完全に自分が思った通りの、そして自分の感覚と相違のない動きをしてくれる。

これは身体動作で言うところの「術」の部分であって、術者が打とうと思ったときにはすでに相手に到達している状況と全く同じであり、自分の感覚と動作が一致している状態ですが、普通は打とうと思ってから動作が始まりますので必ず命令から動作までタイムラグが生じます。

 

そして、その身のこなしがあまりに自然であるためにその素晴らしさに気づかない場合も多いと思われ、とくに「初めてポルシェに乗る」人は普通すぎてなにも感じないかも。

この部分が端的に武術の「術」を言い現していて、その身のこなしがあまりに自然であるためにその素晴らしさに気づかない場合も多く、とくに武術の稽古をしていない人は普通すぎてなにも感じ取れない事があります。

ポルシェも武術も表面から見ているだけでは素晴らしさは気付きません。

車に興味のない人にポルシェを見せても、早く走っているだけにしか感じず、武術に興味のない人に技を掛けてもなぜ崩れたか理解できずそれだけで終わってしまいます。

何も感じず何も見えませんが中に隠されているシステムを見て知った途端技術の結晶が見えてきて深く見るほどその素晴らしさが実感出来ます。

しかし、技術が進歩すれば人と技術のインターフェイスが曖昧になり、技術の存在がより消えて見えなくなる傾向は益々強くなります。

実に単純明快であまりにも当たり前の事が技術であり、見えないもの、表には表れないもの、でも確実に有るもので、気付かなくとも技術の影響を受けているのだと再認識できました。