力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

古武術的に足を引き上げる筋肉を使って走る

義父が免許の自主返納をした途端、義母が骨折し年末から入院となりバタバタしていた義父は初詣もまだだったので車で送迎ついでに神社に寄りました。

参拝後気を利かせて義父をあまり歩かせない様にと先に走って車を取りに行ったのです。

走っていて気づいたのですが、以前走ったのは何時だったのかとふと考えたのですが、思い出せないほど走った記憶がありません。

走れるのか少し心配になりましたが、たまたま緩い下り坂ということもありなぜかスムーズに走っている自分に驚いてしまいました。

この日は久しぶりに粉雪もちらちらと冬らしく身体が動きにくいほど重ね着をしてなおかつ、両手をズボンのポケットに突っ込み上半身はほぼ固まったままほとんど動いていないにもかかわらず、脚は氷の上を滑る様に滑らかに運ばれていくではありませんか。

走っていて何て気持ちいいんだろうと思っていると、息も上がる様子もないので一気に駐車場まで走りきってしまいました。(大した距離ではないですが)

走り終えた後も全く息が上がっていないので不思議な気持ちでした。

程よい下り坂で走りやすかったのですが、走っていてこれは楽だと思いその勾配に合わせてほとんど脚を引き上げず固めた上体をやや前方に傾けただけで滑り落ちる感覚になれたのです。

走っている最中に両腕をポケットに突っ込み突っぱって上半身を固め動かさず、脚をほとんど上げずに走る自分の走り方を客観的にイメージすると奇妙な走り方になっているに違いないと思ったのですが、走るという感じではなく、滑り落ちる感覚だったのです。

唯一動いている下肢の動き方は、最近意識して脚を引き上げる稽古が再現されていると感じられました。

一般的に脚を引き上げる場合は、大腿の前面にある大腿四頭筋を主に緊張させますので、頑張ると太ももの前がわが張って筋肉痛になります。運動していて筋肉が張る部分はその部分を多用している事になります。

古武術の体の使い方は、四肢の運動を極力制限する事で躯幹部(体幹)の動きを引き出します。

その様なことを意識しながら脚を引き上げると一般的な脚の引き上げはつま先で地面を蹴り上げている事に気づきます。

その様な脚の引き上げ方は、下腿の腓腹筋や前脛骨筋が緊張し張りますので、その部分を使えば脚の引き上げが強くなるという発想になり下腿がパンっと張っていると脚力が付いたように感じられます。

古武術の発想からするとその様な筋肉の張りは必要なく、稽古を積めば積むほど下腿はヒョロヒョロになります。

それは出来るだけその様な筋肉を使わずに動こうとするので筋肉が痩せてしまいます。

下肢以外の筋肉で下肢を引き上げる筋肉を使うとなると大腰筋や腸骨筋などの腸腰筋群の出番です。これらの筋群も下肢を曲げ込む作用があるのでこちらをメインに使います。

体幹レーニングが流行り出して大腰筋や腸骨筋の知名度がアップしましたが、これらの筋群をメインに使う事はなかなか難儀です。

それは現代人の体を使う特徴として使い慣れた四肢の筋群が先に働き出す脳からのプログラムが既に色濃くインプットされていて、腸腰筋群がメインに動くような指令に脳が慣れていないのでインナーマッスルを使う事が難しいのではないかと考えます。

古武術的に筋トレというと、筋肉に負荷をかけて鍛える事ではなく脳から筋肉への神経伝達プログラムの変更を行う事のように思います。

日常動作における動作プログラムでトレーニングしても筋力はアップしますが「質」は変わりません。

質を変えるには根本的に動作プログラムを組み替える必要があるはずです。

古武術における稽古は、この神経伝達プログラムの変更作業と言っても過言ではありません。稽古時間の大半をこの作業で終わってしまいます。

その様な稽古を積んで来た方々は、日常動作の質が変わり見た目が明かに普通ではありません。

目標は、1日も早くその様な片鱗が醸し出せる身体になりたいものです。

最近脚を引き上げる稽古でようやく筋肉痛のエリアが大腿前部から臀部の下部に変わってきました。このエリアは腸腰筋群の停止部に当たる為ようやく躯幹部(体幹)が働き出したかなという感じです。

その筋群を使い走る事が出来たので楽に走れた様に思います。