力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

柔軟性ではなく手首を柔らかく使う方法

武術における手首の使いは極意に直結する重要な部位であり、特に剣術において得物等の道具を持つためには手首の使い方如何で優劣が決まってしまいます。

また居合における日本刀の扱いも同じく、日本刀を持つ手の内が柔らかくなければなりません。

道具のポテンシャルを最大限活かすためには、道具に直結する手首の使い方や握り方が重要であり、道具の動きや働きの邪魔をしない身体の捌きを行う必要があります。特に日本刀の斬るポテンシャルは、他の刃物に比べて断然高い能力を持ち合わせています。

この高い能力を最大限に発揮させるためには、日本刀自身が本来動くべき動きを日本刀自らが動く。これが太刀筋といわれるものだと理解しています。

自分が太刀を扱っているなど傲慢な考えをした途端に太刀筋は消えてしまいます。

太刀自身が素直に動いて頂く動きに自分が邪魔をしないように、自分が目立たぬ様にする事が太刀に対しての敬意です。

これは精神論ではなく技術論です。

道具の能力を信用しなければ、自分がしゃしゃり出て力でなんとかしようとしてしまいます。そこで道具本来の能力を殺してしまってます。

ただ単に道具の能力を信用しろと言われても心底信用していない自分がいるのは、敬意が足りていない事と道具の性能を持ちあぐねている現れでもあるのでしょう。

もっと道具の事を知らなければなりません。そのために道具に意識が行きそうですが、道具をいくら見つめても道具から答えが導き出される事は無いと思われます。

心底信用出来ていないのは、扱う側の扱い方に明確なそして確信に満ちた動きでない事に道具が表現してくれています。

その扱い方が変わらなければ、道具への信用も深まりません。

道具を知るとはこの扱い方そのもので、道具は扱って初めて能力が発揮されます。道具の能力を発揮させるには扱う能力を高めるしかありません。

便利な道具が溢れる世の中では、受け入れ難い考え方と思われるでしょう。道具の性能を高めるより、道具の扱いを高める事で道具の性能を引き出す考え方もあるのではないでしょうか。

その中で手首や握り具合は道具との接点になるポイントとなります。

道具の性能を最大限引き出すためには、出来るだけ道具に干渉しないように柔らかく接したいものです。

そのためには、手首が柔らかいのではなく手首を柔軟に使うことが求められます。

手首をストレッチして関節が柔らかくなっても、動作をしたとたんに動きがぎこちなく思うように動作できない場面に直面します。

それこそが自分の力で動作の邪魔をしている力となってしまっています。

その様に道具を扱う力が道具の持つポテンシャルを押さえ込んでしまい、能力を引き出せずに終わってしまいます。

そこで力が入りすぎるから脱力しても意味がありません。

力を入れなければ体は動きませんから。

柔らかく柔軟に動作する一つのポイントとして、動きの濃淡を無くすように動くこと。

いくら手首の力を抜いても手首以外の体の部分との力の差があれば力が目立ってしまいます。

どのような場面においても道具を扱うに当たり手首だけを動かすのではなく、身体のいろいろな部分の動きと手首の動きに力の差が生じないように使いたいものです。

逆に言うと身体全体の動きの中に手首の動きを隠してしまう身体の使い方とでも言うのでしょうか。

動きの濃淡を均一にするには、身体は身体、手首は手首と別々に動かしては一向に差は縮まりません。

身体全体の動きと手首の動きを一気に命令を下し、同時並列的に操作をする必要があります。そしてそれぞれの動きを一つの動きとしてまとめ上げた時、角が取れ何にもぶつかること無く自然に動いている様に見える動きが表現でき、その動きはなんとも言えぬ柔らかくまろやかな動きとして見て取る事ができることでしょう。