力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

指先の力が抜け腰と繋がる時響きが生まれる

雨の中ザ・シンフォニーホールへ日本センチュリーの定期演奏会に出かけ、ラヴェルボレロを初めて生で聴きました。

その前にフランスの山人の歌による交響曲なるものも初めてです。

ピアノは横山幸雄さんで、オルガン席だった為ピアノの音は殆ど聞こえませんでしたが今回アンコールにラヴェルの道化師の朝の歌を弾かれじっくり聴く事が出来ました。横山幸雄さんのピアノコンチェルトは以前聴いたことはあったのですがソロで聴いたのは初めてでしたが響きが腰に来たので感激してしまい、リサイタルも行ってみたくなりました。音楽的感性の全くない私は身体特に腰で共鳴することをコンサートでの最大の楽しみとしています。

オルガン席は、指揮者が良く見えるので個人的には好きな席です。いつも身体の動きを気にしているので聴くよりも見る意識が強くなり、指揮者の身体操作が非常に興味があるためです。

そして、今回のピアニスト横山さんの手元も上から大変良く見えました。

軽やかな手元は、指を丸く使いニャンコの手の様な特徴的なタッチが結構多く見られたのですが、それを見て剣術の手首の操作に共通する動きに気がついたのです。

「切先を効かせる」剣術においてその様に使う場合があります。

切先とは剣の先端部分であり、効かせるとはこの先端部分に力を集約させ剣をコントロールし相手との接戦で相手の剣を通して相手を崩す操作を行うことがあります。

しかし、実際やってみるとわかりますが(箒みたいな棒でどなたかの膝付近に箒の先っちょを軽く当て、横にはたいてみて下さい。)なんともなりません。切先を効かすことが出来れば軽く当てているだけでも受ける人の腰が崩れます。

両手の間隔を広げ力一杯押さえ込めば相手が崩れるかもしれませんが、それは力の作用なので技とはいえません。

「切先を効かせる」ためには、指先の力具合と手首の操作と力の出所である腰の作用を制御し一致した動きを腰から手首を通して指先まで繋げなければなりませんがそれがようやくわかったものの上手くいきません。

演奏中の横山さんの手首は、空間において全く動いていませんでした。表現が難しいのですが、ぶれていないという事。

普通にニャンコの手みたいに指を動かせば必ず手首はぶれますが彼の手首は空間にピタリと止まっていたのです。

素晴らしいと思うとともにあの手首の使い方だから指先イコール切先を効かせる事が出来る、すなわち指先に力を集中させる事が出来、結果的に指先の力が必要なくなるはずです。それは、指先は作用点であり力点は腰(広背筋の下部)で腰からのエネルギーを支点となる手首でエネルギーをロスせず指先に伝える事ができれば、指先に力を入れずに指先を効かす事が出来る。はずです。。。。。、

今まで無数の仮説を立ててことごとく実証出来ず崩れ去って来ましたが、仮説の精度が徐々に上がって来ている感じはします。今まででしたらあの手首を見ても気付かなかったでしょうが感性が高まることで見えないものが見え出す事がある。そして仮説を実証する為にあの手首の使い方が表現できるように稽古しなければなりません。

一流のピアノ演奏と切先を効かせる達人の技は、普通の身体操作では絶対表現出来ません。同じ事を繰り返していても身体操作はどんどん変換され同じ動きでも全く質の違う動きが生み出されなくてはなりません。その結果響かせる事が出来、また腰を崩すことが出来るのでしょう。

楽器演奏で音を共鳴させ響かせることと武術で相手を崩すことは、相手を取るという意味で同じ行為といえるでしょう。

あとは手首を制御し広背筋の下部で指を動かす事が出来る様に稽古しなければなりません。

意識せずに出来る人は出来ても、出来ない人は出来る様に稽古するしかありません。