力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そんな時力が抜けたといえよう。

理想の動きを追求するためのシステム

武術武道、スポーツ、楽器演奏や芸能どの様な世界でも日々理想の動きを目指し精進されていると思われます。

理想的な身体の動きは、自分の思い通りに身体が反応し最大限のパフォーマンス得るために試行錯誤し理想に近づけて行く作業が必要です。

理想の動きと現実の動き、稽古や練習はこの差を詰めて行く作業といっても良いでしょう。

まず、理想の動きとは。

理想の動きを実際に表現する人の動き方、いわゆる憧れの人また師範となる人の身体の使い方、動き方は一番理想の動きとなり得るでしょう。

自分のイメージの中にある理想の動きもあるかもしれませんが表現性が乏しく、実際に動けている人の真似をした方が現実的です。

そして、現実の動き。

自分の中では、理想の動きが出来ているつもりになる事がよくありますが、実際の動きとイメージではギャップが生じています。それを確認するためには、客観的に評価してもらう事です。

一番良い方法は、理想の動きができる人に自分の動きを評価してもらう事になるでしょう。

ですので、師弟関係の構築が一番理想の動きを得る最短の方法となるのです。

実際に理想の動きが出来る人に手取り足取り直接指導して頂き、良くない動きを修正出来ればそれに越した事はありませんが、現実にはその様な条件に当てはまる事は少なそうです。

そこで自分一人で理想の動きが出来る人の動き方をイメージして、その動き方に近付ける様に試行錯誤の日々がほとんどの時間を費やすことになるでしょう。

この一人で行う試行錯誤の稽古が曲者で、回数を重ねると出来た様な気分になれてしまいます。

 動きが慣れてくるとスムーズに身体を操ることが出来る様になってきます。しかしその慣れた動きが理想の動きとは限りません。慣れた動きと理想とする動きの違いをチェックするシステムが必要です。

古武術において柔術が剣術や居合を引き上げるといわれています。

先ず体術を身に着けてから獲物を扱うという考え方もありますが、柔術には必ず技の受け手が付いて技のチェックを都度受け手が直接行います。

この受け手のチェックが慣れた動きであるか理想とする動きの違いを評価します。

見た目だけの慣れた動きには、実質が伴わず受け手の身体が動こうとはしませんが、理想とする動きには、動きの意味が含まれその意味を受け手の身体が動きで表現してくれるのです。

その時、受け手は受け手の意図を持たずただ無心に取り手の動きに追随していると、明らかに普通ではない感覚に捉われます。

受け手は取り手の意図を汲み取って動き出すのではなく、取り手の存在自体が消えてしまうので、どの様にリアクションすれば良いのかがわからなくなってしまいます。そして姿勢の保持が出来なくなり、結果的に取り手に誘導されている状況になってしまいます。

この存在自体を消す事が技の根底にあり、動きの意味となるところです。

理想の動きは、動きを相手に強要するのではなく、自らの身体を捌いて相手にぶつからないように、抵抗のないように振る舞うと抵抗のない方向へ相手を導く事が可能となります。

理想の動きは、力ずくで無理矢理作り上げるものではなく、無理無駄がなく力の存在を感じる事なく動きだけが存在するのです。

その評価を直接取り手の身体を捉えている受け手のリアクションの反応を見ながら理想の動きに近づけて行きます。

理想の動きを求めるため、稽古や訓練を色々な世界で行われていますが、武術の稽古は抽象的な動きの質を客観的評価を元にし、確立された伝承システムと思われます。