力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

筋肉の働きはエンジンではなくハンドル

野口体操の故野口三千三先生の著著に「筋肉はエンジンではなくハンドル、エンジンは身体の重みで筋肉はその重みをコントロールするハンドルである」様なことが書かれていました。

野口先生の著書を初めて読んでから約30年が過ぎてようやく意味が飲み込めたのです。東京藝術大学の教授であった野口先生の著書「からだに貞く(きく)」「重さに貞く(きく)」を身体の動きに興味を持ち始めた当時読んでみたもののあまりピンと来ませんでしたが、古武術の稽古を続けるうちに頭の片隅に残っていた野口先生の言葉がある日リンクしたのです。

それまで当然の様に骨格筋とは身体を動かす為のエンジンだと何の疑いもなく思い込んでいました。

この思い込みが普通にある以上身体を動かす為には必ず筋力を出力しなければなりません。ですからこの先生の著書を初めて読んだ20代の頃は全く意味がわかりませんでした。

しかし、古武術の稽古を繰り返し続けるうちに骨格筋肉の使い方が根本的に変化して来ると、筋肉がエンジンであると辻褄が合わなく感じ出して来るのです。

筋肉が主になって身体を動かすのでは無く、筋肉で身体の動きをコントロールする身体の使い方があると実感した時、そういえば昔そんな事が書いてあった本があったと思い出しました。

野口先生は武術経験者では無いと思われますが、古武術を通してようやく言われる事が実感出来たのです。

 

身体を動かす、または使うとはこう言う事だと最近つくづく思う様になりました。

一般的な筋肉をエンジンとする使い方に慣れてしまうと、身体を力でコントロールしてしまいます。

身体のコントロールは本来体性感覚で行わなければならないはずです。しかしそれを力に頼る身体の動かし方使い方をしていると感覚が鈍くなる傾向があり、自分の置かれている状況がわかりにくくなる様に思います。

だから闇雲に身体を動かす事で、疲れるし痛めてしまう様な非効率な身体の動かし方になってしまう傾向が強くなるのでしょう。

 

感覚的に自分の身体を動かす、使うとは身体の重さを自覚しそれをコントロールする必要があるはずですが、普通は自分の身体の重さを意識する事はまずありません。

身体を動かす、使うとは身体の重さを移動させる事であり、手先だけの動きでも手の重さを感じ取り、その重さをコントロールする力があれば、今ほど力を入れる必要はないはずです。

感覚が鈍い分力に頼って無駄な力を入れている様です。

筋肉をエンジンからハンドルに切り替える為には今以上に感覚を鍛えなければなりません。

感覚の中でも身体の所在となる重心と重心線の感覚を意識する事は重要です。

逆にそれさえコントロール出来れば、異次元の身体能力が発揮される事でしょうが、重心と身体の動きを一致させるとは至難の作業となります。

きっとこの文章を読んでおられる方は意味がわからないと思います。身体が動けば重心も重心線も動く事は当たり前なのに何が難しいのかがわからないと思います。

説明になっているかどうかわかりませんが、断片的な表現として身体が動いて重心が動く事と重心が動いて身体が動く事の違いでしょうか。

前者は一般的な身体の動かし方ですが、後者は?符がつくと思われます。

前者は筋肉をエンジンとして使う身体の動かし方で、後者は筋肉をハンドルとして使う身体の動かし方の違いです。

また、前者の身体の動かし方は筋肉に力を入れますが、後者の身体の動かし方は力を抜く事で動きが達成されます。

そして、力を抜く事で重心が引き出され、その行方を筋肉でコントロールし動作が完遂するのです。

東京オリンピックを前にしてスポーツ界は科学的動作解析を駆使して成果を上げていますが、こんな非科学的な事をしているへそ曲がりもたまには居ます。

いいんです、古武術はスポーツではないので!

こんなスポーツ以外の身体の動かし方使い方があっても。。