力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

響かせる立ち方

以前、声楽の先生が立ち方のアドバイスとして下半身は下へ地面に根が張るように、上半身は上へ天井から頭が引っ張られるようにと話されているのを聞いて引っかかった思いがあった。

 

上はさておき、下に根が張ってしまっては動けないではないかと思ったのである。

 

声楽や楽器演奏などは走ったり動き回ることがないので動けなくても良いのではないかと考えることも出来るが、問題は身体の中の動きである。

 

身体の動きは表面に現れた目に見える動き以外に目には見えないが確かに動いている動きがある。

 

抽象的な思いや感情を伝えるためには、この目に見えない動きを表現することで身体が響き人に伝わるのではないか。

 

スポーツなどの目に見えた物に対して感動する事と違って、芸術など”術”とつくものは目に見えない、なんだかわからないけど涙が出ちゃった風になるのは、自分でも見えず気が付かない間に影響されている、それは響かす方の身体の中の変化を感じ取った結果だと思う。

 

脚に根が張っても身体がすすきの様に揺らげばよさそうなものだが、脚に根が張った状態すなわち脚を地面に対して踏ん張った状態は、いくら身体の力を抜いて力みをなくして柔らかくしても地面からの反発力が身体に反響してしまい、響かそうとする自分の動きと合成され思いとは異なる動きとなってしまう。

 

これでは思い通りに身体を動かしていても、思い通りに身体が動いてるとはいえない。

 

この先生は下半身を安定させるために、脚を固めその反発力で声を飛ばすと云う様な発想だと思われる。

 

考え方の違いで、スポーツ的な発想であり強く大きく声を飛ばそうとすれば良いかもしれない、しかし、大きい強い声よりも響く通る声は地面を踏みしめない物理的影響を最小限にし、声を出す本来の動きだけのほうが個人的には良いように思う。

 

地面を踏みしめない立ち方で安定して立つとは、どのような立ち方なのか。

 

その前に、一般的な安定のイメージとして大地にドシンと置かれる墓石の様なイメージはないだろうか。

 

私の安定のイメージは、赤ちゃんが何とか立っている、そんな立ち方ではなくシュチエーションであり「やじろべい」が静止している感じ。

 

最小限の力でバランスよく立てたとき中心軸に身体が揃い身体が軽く感じる、そんなシュチエーションを見つけたい。

 

そのような時、踏ん張る必要がなく思い通りの動きが表現し易いかもしれない。