力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

力の抜けた、ただ身体の重みを乗せているだけの立ち方

体重をアプリで管理し始めて4年近くになります。

体重を増やさない戒めにもなり、また一定の傾向が見えてきました。

夏季体重と冬季体重がくっきり現れていて、おおよその変動は±2㎏ですが、下は夏場で上は冬場で推移しています。

たまに生活のリズムが変わると体重はドカンと上がったりすることがあります。

その時は体が重たく感じたり、胸が揺れるのが解ります。

ちなみに今日の私の体重は68㎏です。

よく思うのですが、10㎏のお米の袋約七つ分に相当するわけで、七つも一度に持つこと出来ないよな~って。

常々こんなに重いものをよく動かしていると感心します。

二階に上がる時に階段を18段上がりますが、今のところ頑張らずとも上がることができます、でも68㎏を二階まで上げていると考えたら、二階に上がるって凄いって思ってしまいます。

普通はそんなこと考えませんよね、でも立っているだけでも自分の重みを常に支えているわけで、身体は頑張ってくれています。

その体重の支え方ですが、いろいろな立ち方で支えています。

例えば、体育の時の休めの姿勢で立つとします。

右休めの時は、左脚に体重を乗せて右脚を休めます。左休めはその逆です。

左脚で体を支える右休めの姿勢は、左右均等に立つ姿勢とは重心の位置が変わり左側によります。

重心の位置が中心から1㎝でも2㎝でも変われば、68㎏の支え方も変わらなくてはなりません。

右休めなら、左の腰やお尻の外側の筋肉を緊張させながら、上半身を左に移動させる事で重心の位置が変わり、身体の支え方が変わります。

このとき左半身の筋肉は真っ直ぐ立っている時よりも過剰に緊張しなければなりません。

真っ直ぐ立っていれば、これらの緊張は必要ないのに少し身体が偏るだけで、余計な力が入ってしまいます。

そのような状態が習慣化すれば、筋肉が硬くなり痛みなどの症状が現れるかもしれませんし、パフォーマンスの低下につながるでしょう。

その様に考えると、身体の重さの支え方次第で力の使い方が変わるのですから、楽に立とうとすれば真っ直ぐ立つことが理想です。

しかし、その真っ直ぐが結構難しく、力ずくで真っ直ぐにしようとすると余計力が必要になります。

発想を変えて、真っ直ぐ立つというよりも、身体を真っ直ぐ乗せると発想しても面白いかもしれません。

支えるのではなく乗せる感覚は、力が入った身体では感じにくくまた、すぐに崩れられる状態でなければなりません。

この崩れられる状態が厄介です。なぜならこの状態は不安で怖いからです。

ヒトは経験的に転倒したり尻餅をついたりしたことを憶えていて、怪我や痛みを覚えるなど身体にダメージが及ぶことが理解できています。

まして年配者になると、転倒しないように目一杯力を入れて身体を支えようとします。

この行為は、転倒しないかもしれませんが動きにくくもなります。

動いにくくなれば、転倒の可能性も高くなるのではないでしょうか。

力を入れずに真っ直ぐ立てるようになるために、積極的に崩れる稽古が最適です。

しかしこの行為も厄介で、心底崩れられません。

心底身体を崩すには、立ち眩みの時のように一気に力が抜けた状態にならなければなりません。

たまにTVドラマで役者さんが気絶して、誰かが横で支えるシーンをみると違和感を感じます。

本来ならいきなり何十kgの身体が崩れると、なかなか支えることができず隣の人まで崩れてしまいます。

なぜなら、支えようとする時に崩れてくる力の方向に対して支えますので、一気に崩れられるとその方向が多数になり、どの方向に支えれば良いかが判らなくなり混乱したままお互いが崩れてしまいます。

しかし、身体のどこかに力が入っていたり、順番に力を抜いていったりして崩れた場合は、その動きが感じ取れますので、その動きに対して支えることが出来ます。

隣の人が支えられると云うことは、本当に崩れたとはいえません。

このように、一気に力を抜くことは結構難しいです。

意識的に崩れると、身体の力を順番に抜いて行く場合と、力を抜くのではなく力を緩めてコントロールする場合があり、一気に力が抜けると行為とは違います。

このように一気に力を抜くコントロールができれば、力の抜けた、ただ身体の重みを乗せているだけの立ち方ができるのではないでしょうか。