力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

頑張るの語源は我を張る事なのか・・・

「頑張る」という言葉に違和感を感じていたところ、ある記事に頑張るとは我を張る事から来たもともとはネガティブな意味合いがあったと書かれていました。

我を張るイメージは、過剰に自己主張し自分を押し出す行為で、自分の持っている力以上の力を出す感じでしょうか。

自分の持つ力以上に力が出れば、目的が達成される可能性は高まるのでいいように捉えることができます。

それを期待して人に「頑張れ」と声をかけ、力を今以上に出せと催促したりします。

確かに頑張って、出来ないようなことが出来た時は達成感があり、満足や充実した気分になり、頑張れば自己実現に近づくためには必要な行為と言えます。

ただ、自分の持つ力以上の力ってどこから来るのでしょう。

頑張ることで自分の持つ潜在的な力が湧き出てくることなのでしょうか。

この潜在的な力は大変魅力的です、自分の知らない力が自分の中に潜んでいてそれを引き出せば、自分の能力がいきなりバージョンアップするのですから、魔法の薬のようです。

現代人はこの魔法の薬の味をしめ、頑張り中毒に罹っているようで、その潜在能力を引き出すそうと無理矢理捻り出している感があります。

例えば、ここ一番に今どうしても力を出しきりたいと栄養ドリンクを飲んで身体や頭を鼓舞させその場を乗り切る行為は、力の前借りをしているわけで、それが続けば借金の自転車操業と同じになってしまい、一回や二回ぐらいなら問題は起きないでしょうが、その行為が続けば破綻します。

破綻の意味するところは、身体の故障や精神的ストレスが生じることです。

頑張ることにより、自己実現ができる。そして報酬系の脳内物質ドーパミンが分泌され達成感や満足感を味わうことができます。

しかし、頑張りすぎた副産物として心身がボロボロにもなります。

頑張るとは、虚勢を張って無理をしているように思えます。

では頑張らない、ではなく頑張らなくても当たり前のように自己実現できた方が無理無駄が無いと云う事。

当たり前の事柄には、満足感も達成感もありません、そしていきなりのバージョンアップも無いので過去と現在の違いも曖昧で気づきにくいですが、日々平安に暮らしている事が幸せであるように、一時的な満足感よりも日々コツコツと繰り返される事柄にスポットを当て、その総計で自己実現ができれば当たり前になるのではないでしょうか。

いつになるのやら。。。