力を抜く身体目指して稽古中

余計な力はパフォーマンスの邪魔になる、無駄な動きを省いてシンプルな身体の使い方を目指そう

理想の自分に出会ったらするべき事

自分の事は自分が一番よくわかっている。いえ、わかっていないことも多々有ります。

例えば自分の後ろ姿。自分では生の後ろ姿を見ることができないので、ビデオに映った自分に違和感を感じた経験があるのではないでしょうか。

自分では、背筋がピンと伸びていると思っていたのに意外と背中が丸くなっていたりすると、自分にげんなりしたりします。

自分の持つ自分のイメージと現実の自分にはギャップが有り、どちらが正解かというと現実の自分です。

そんなはずはないと心で叫び、現実の自分は認めたくありません。

しかし、そのまま放置しても良くなることはないので改善を模索したいところですが、自分のわからないことを自分で直すことは結構大変です。

まして、自分の認めたくないことをです。

まず、自分の認めたくない自分自身や自分の行為は、一番見たくないので目をつぶろうとし、触れないようにします。

なので、どんなタスクよりも後回しになりがちで手づかず状態となってしまいます。

そして、重い腰を挙げて良くしようとしても、どこをどうしたら良くなるのかもわかりません。

当然です。

今まで、自分で良かれと思ってやってきたことが現実とのギャップを作っているのですから自己否定しなければなりません。

一般的に自分を良くしようとすれば、まず自分を認めて自分に無いものや出来ない事を学び吸収することで、自分のものにし自分を高めていきます。

そこで自己否定しなければならないなんて矛盾しているようですが、自己否定はまず今まで培った習慣をリセットして新たな習慣をまっさらな状態から再構築する作業です。

大阪府咲洲庁舎を耐震化するために一度壊して建て替えるようなもので、現実的ではなく非効率となります。理想は一から立て直した方が盤石の建物ができるでしょうが、現実的には耐震補強工事が一般的になります。

このように一度壊して、また新たに築く事は大変であり、自己否定の作業もまた然りです。まして月日が長くなるほど体の染み付いた習慣は簡単には壊れません。

ですから、年を取ってから新たに何かを身につけようとした時身体に染み付いた過去の自分が顔を出してしまいます。

そして教える方も言っている事をせずに自分勝手なことをするので、それを正すことが大変です。でもそれを身につけようとしている当人は大真面目に行っているのですが、全く見当違いなことになっていることがあります。

なぜなら、過去の習慣の上に新たなものを上書きしているからです。

理想の自分が見つかれば、それに向けて過去の自分は捨て去る覚悟で向き合わなければ本質に触れることはできません。

我を出せば必ず本質を曇らせ捻じ曲げることになるでしょう。

本質を本質のまま、まっさらな身体に染み込ませます。

 

もっと早くに理想の自分に出会いたかったと悔やんでも仕方ありません。

今からでも、過去の悪習を吐き出して自分の理想とする自分を目指しましょう。