力を抜く身体目指して稽古中

余計な力はパフォーマンスの邪魔になる、無駄な動きを省いてシンプルな身体の使い方を目指そう

タイトル変更第二段

ここでは自分の目的に向って自分が気付き、自分で修正していく事を目標としていて、また人に教えるつもりも無いのに教室はおかしいのではないか。

そして人から教わったことは知識になりますが、それと体得し自分の物として使う事とは別と考えると、教室ではない違う場所になるのではないかと考える。

自分を高め、自分を表現する為に自分で稽古する場所は「道場」ですし、練習やトレーニングではなく、古人が行ってきた事を自分で考えて古人に近づく「稽古」はやはり「道場」が良いように思いました。

逆に「道場」では、教えてはならないのではないでしょうか。

道場で教えるとは、教える側の価値観や概念が含まれた形で伝わってしまい、本来の情報に教える人の情報が上書きされてしまいます。

稽古の一番大事なところは、古人と同じことが出来るかと云うところであり、古人と自分とのに間にいろいろな人の解釈が含まれると、本来の形が歪曲してしまい「似ているが違うもの」が伝わってしまいます。

これが「形骸化」であり、稽古で一番良くないことが、形骸化することです。

だから芸事は教えるのではなく、「やって見せるだけ、後は自分で考えなはれ」となるのでしょう。

教えてもらえないと絶対自分勝手な解釈を行い、自分が出来る範囲で出来る様にしようとし、自分流にアレンジしてしまいます。

この行為は理解できない難しいことを自分の理解できる範囲で理解しようとすることなので、せっかく高い次元の物事を自分の理解できる次元に引き下げてしまうことなのでこの行為もまた本質からかけ離れてしまい形骸化を起こしてしまいます。

「道場」で行う稽古は、教え教えられてもダメですし、自分勝手もダメと云うことになります。

ダメなことをいくら努力してもダメには変わり有りません。

ダメではない稽古を如何に行うかが、稽古の中で一番難しい問題点となり、稽古の大半がこの問題に対して模索することが大切ではないかと思います。

始めは誰でもダメから始まります。

そして稽古を続けてダメからダメではないターニングポイントが現れるまでひたすら稽古を重ねるしかないのでしょう。

すぐに結果を求められる時代には向いていませんが、本質に近づくためにはそれなりの時間が必要です。

リアルでもバーチャルでも如何なる場においても「道場」は存在し得ますし、そこで時間を費やす事が本質に近づく最短の時間となるのでしょう。

 皆さんもご自分の道場でご自分を磨いて下さい。