力を抜く身体目指して稽古中

余計な力はパフォーマンスの邪魔になる、無駄な動きを省いてシンプルな身体の使い方を目指そう

手の作業を手で行わない居合術

古武術の中に居合術があります。

居合のシュチエーションは、相手が今まさに上段から斬り付けようとする瞬間であって、自分は座して柄(つか)にも手が掛かっていない絶体絶命の場面を想定されています。この不利な状況下で如何に情況を覆し、自分が有利になる事が「術」の本質となります。

この様な場面で瞬発力や早業で速く剣を抜こうとも不利な情況は変わり有りません。

最終的には運動の「質」が換わらなければなりません。

しかし、居合を何十年稽古していてもなかなか質が変わる実感がないのが事実です。

ただそれまでのプロセスとして、まず身体のどこかを動かした時点で斬り付けられる事は目に見えていますので、まず身体を動かさない事を学びます。

といってじっとしていても何も始まりません。

身体を動かし、使う事で動かさない事を学ぶのです。

例えば鞘に収まっている刀を鞘から出そうとすると、右手で柄を引き抜きぬこうとしますが、そこで右手を使わないで抜刀する身体の使いを稽古します。

右手を使わないように刀を鞘から引き出すために、刀を出すのではなく鞘を後ろに送る「鞘引き」といわれる動作がこれに当たり、鞘を引くことで右手を使わず刀を抜くことが出来るのです。

刀を抜こうが鞘を引こうが、動き方や順序が変わるだけではないかと思われるようですが鞘引きのような体の使い方は一般的な体の使い方とは全く逆の発想と言えます。

一般的な動作は、必ず身体が止まっている状態から動き出すと形の変化や速度の変化が起こり、動く前と動き出した後の形が変わることで動きを見て取ることが出来るので、誰が見ても動きを認識し対応できてしまいます。

鞘引きのような身体の動かし方は、刀自体は動いていないので形や動きの変化が有りません。その代わり刀以外の動きが変化することで結果的に抜刀できていることになります。

稽古法としては初歩の初歩ですが、動きの質を換えていくためには先ずロジックが変わらなければなりません。

同じ次元のレベルの動きを繰り返し練習すれば、そのレベルでは上達するでしょうが「質」を換えるためには、理論や術理等の考え方を多角的に発想し仮説を立て、検証する作業をひたすら繰り返す必要が有ります。

決まった動きをひたすら繰り返し続ける武術の稽古法である「型稽古」は、仮説を検証する実験と同じプロセスように、失敗を繰り返し、ある日何かのきっかけで光明が差す時を待つ必要が有ります。

質の高いものを求めるためには、量をこなすだけではなく、微妙な感覚の違いを感じ取り表現する能力を鍛えなければいけません。