力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

手先・指先の力を抜くとパフォーマンスは高まる

先ず、パフォーマンスの高い状態とはどのような状態を指すのか?

運動器系だけで云うとより多くの筋肉が働き、それによって関節が動かされ、複雑な動作を行っている状態といえます。

その前に脳からの命令が細やかに、細部にわたり適切に送り出されなければなりません。

その結果、体の動きは軽やかにスムーズに効率の良い動きが繰り出され、いわゆる「力の抜けた」動きを作り出し、軽々とした動きとしてみることが出来ます。

逆に、パフォーマンスの低い動きとは、個人個人の動き易い筋肉を組み合わせることで、それらしい動きを作ろうとし、見た目は良く似ていても、発動される筋肉の部位や数が圧倒的に少ないため、転送速度の遅い動画のようにカクカクとしたぎこちない動きとなります。

そのぎこちなさを補う為に筋肉を緊張させ(力を入れて)少ない筋肉の出力を高め動きを作るため、より動きがぎこちなくなり、力感が高まり、力が入った状態となります。

パフォーマンスを高めるためには、先ず動く量をこなし動きに慣れる事でスムーズな動きにつながるでしょう。

しかし、それだけでは個人個人の特性である動かし易い筋肉だけが動作を作り出し動作に参加しない筋肉はお荷物になる可能性があります。

慣れた動きをいくら繰り返しても「質」は高まりません。

質を高めるには、動けていない筋肉を使い動作に参加させる事。

そのためには、出来ないことを出来ないまま繰り返すことではないかと思います。

言い換えると出来ないことを出来るように工夫してはならないという事。

工夫して出来る動作は、我流に陥り易く本質が抜け落ちる恐れがあります。

出来ない動きをひたすら繰り返していると、同じ動きでも動きの違いに気付く瞬間が訪れます。

そして、その瞬間に気付いた時「これや!」と感動してしまいます。

 

しかし、後日実際にその動きを検証してもしっくり来ないことは多々あり、仮説が崩れる瞬間ではありますが、それを繰り返し行い実証していかなければなりません。

 

その中でも最近一つ気付いたことがありました。

 

手先、指先に力を入れて人に触れたり、物を持つと躯幹(体幹)の動きが妨げられることに気付いたのです。

躯幹部(体幹部)を動かすことがパフォーマンスを高める大きな課題であることはどの世界でも今では共通となりました。

しかし、躯幹部(体幹部)はなかなか動いてはくれません。

武術では、「テヲモッテセズ、アシヲモッテセズ」と古来より歌われておりました。

手でも脚でもないところで動作できなければならないことを古の武人は後世に忠告したと理解しています。しかし、現代人にとって手足を動かさずにどうやって体を動かすのか考えも及びません。

それがクリアできた時、少しは技と云える動きとなっているのでしょう。

今まで師から、相手や剣に触れるときは極力軽くと、赤ちゃんに触れる時のようにと散々忠告を頂いていました。

これは、相手に干渉しないように、剣の動きを最大限引き出す事と理解していましたが、その他に手先・指先に力が入ると自分自身の感覚が鈍くなり、本来の動きの邪魔になってしまうことに気付きました。

柔術の稽古において躯幹部の動きで相手を崩そうとしてもなかなか自分の躯幹がどのように動いているのか、また動いていないのかが手先・指先に力が入ると解らなくなっていたのです。

手先・指先に力を入れてしまうと体性感覚が鈍くなり、自分の身体の状況が解らなくなり適当に、闇雲に動こうとしてしまいます。

その結果、自分の動き易い動きで対応するため「質」の高上にはつながりません。

自分の体の中で、特に躯幹部(体幹部)の感覚が明確になる事で身体本体の操作が出来る様にならなければならないのです。

これは、野球やゴルフでも同じことが言えるのではないでしょうか。

バットやクラブを強く握ればよく飛ぶというものではないでしょう。

極力軽く握ることでバットやクラブの存在を感じ取り易くなり、また繊細な操作が可能となります。

力でボールを飛ばすのではなく、躯幹部のコントロールを厳密に行うことで道具をコントロールし、道具の能力を最大限発揮させる。その様な飛ばし方があるのではないでしょうか。

そのためには、極力手先・指先の力を抜くことで躯幹部の動きが明確になり、躯幹部の動きで動作できればパフォーマンスは高まると思われます。