力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

バイオリン演奏は構えも含めて演奏になる

 

先日バイオリン奏者の方とお話しする機会があり、その中でバイオリンの持ち方が二通りあることを始めて知りました。

 

一つは、肩とあごでバイオリンをはさんで支える持ち方。

 

もう一つは、左手で支える持ち方。

 

それぞれ力の入れ具合の割合の問題だと思うのですが、演奏者はそれぞれ自分のコントロールし易いポジションと力加減で楽器を支えているようです。

 

いずれの支え方が正しいとは云い難く、曲調によって、体調によって変化するのでしょう。

 

このように音楽を表現する前に楽器を持つまたは支えなければ、音を奏でることは出来ません。

 

そこですでに音楽を奏でる作業と楽器を支える作業の二つの作業を行っていることになります。

 

演奏を行う上でどのように演奏するか、は奏者ならば常に考え試行錯誤を繰り返し練習していると思われますが、意外とどのように楽器を支えるか、もしくはもっと広い見方をすると地球に対して身体と楽器がどのような関係にあるかはあまりにも当たり前すぎて考える事がないかもしれません。

 

楽器演奏をする上で、楽器を持って立ったり座ることはあまりにも当たり前だから。

 

一つ云えることは、自分の持っている能力や体力には限りがあること。

 

ある人は「人間の能力は限りがなく無限にある」と仰る人もおられます。

 

潜在能力など発揮すればそうなるでしょうが、よほどの条件が揃わない限りそのような状況にはなりにくいと思われます。

 

今ある自分の能力や体力を最大限演奏に費やす事が出来きれば最高のパフォーマンスとなるに違いありません。

 

そのためにも演奏を行う以外の事は極力行わないことではないでしょうか。

 

すべての能力や体力を演奏するためだけに力を使うことが出来れば、パフォーマンスはおのずと高まります。

 

しかし、現実には立ったり、座ったり身体を支えなければなりませんし、楽器も支えなければなりません。

 

そのために力は必ず必要ですが、最高のパフォーマンスを行うためにも、演奏以外の力は使わないことが重要です。

 

それは、力を使わずに立ったり座ったり、楽器を支えたりということになります。

 

そこで重要な概念が「構え」です。

 

ただ楽器を持って立つ場合と、楽器を持って構える場合は全く別次元のポテンシャルが発揮されると思われます。

 

武術では「形が技を助ける」と云われています。

 

ですから、技を習得するためにはまず形を作ることが求められるのです。

 

その形を作るために繰り返し、繰り返し動作を行い身体を形にはめ込む作業を行い、身体が形にはまってくるとそれなりの構えとなります。

 

ここで重要なことは、動作を行い形に身体をはめていく作業であって、静止したポーズをいくら取っても構えにはなりません。

 

構えとは、静止していますが動作の一部分で動きの一部と捉えて良いと思います。

 

そのように捉えるとただ立つだけ、ただ座るだけ、ただ楽器を持つだけではなく、演奏を行う動きと同調もしくは協調した動きが必要となります。

 

その協調された体の動きに費やされる体力・筋力は最小限で演奏と協調する事が理想でしょう。

 

そして、演奏と構えを別々で捉えては協調にはなりません。

 

演奏の中で構えを創ることが求められます。

 

この演奏と構えのパワーバランスこそが最高のパフォーマンスを導くと考えます。

 

演奏に対する細やかな神経を研ぎ澄ませながら行う作業を同時に構えにも同じぐらいの神経を費やすことで、身体全体がバイオリンの延長にある楽器の一部となるような身体になった時、バイオリンを構えるといえるのではないでしょうか。