小学生の頃から体が固かった事にコンプレクスを持ち、その頃から身体の動きに興味を持ち始め、色々試して最終的に古武術にたどり着いたのです。
武術に興味を持たれる方の動機は「強くなりたい」が一般的に多数を占めるはずです。
体が固いというコンプレックスの解消に武術を選択する人は、珍しいと自分でも思います。
ですから、強くなりたい、勝負に勝ちたい、などの希望は全くなく、世間一般でいうヘタレですので、周囲の人にもあまり武術を行なっているとアナウンスもしていません。
私が稽古する武術と世間一般がイメージする武術・武道とかなりの開きがある様なのでいちいち説明するのも面倒なこともあります。
子供の頃から体が固かったのは、柔軟性が乏しいという感覚よりも力みの感覚が強かったため、この力みを取り去りたい想いが強くありました。
その後、知人から勧められて観たビデオが武術入門のきっかけとなったのです。
その当時武術など全く興味もなく、ビデオを見ても何をしているのか全く理解出来ませんでした。
でも、貸して下さった知人に感想を言わなければならないと思い、数回に渡り見直していると気づく事がありました。
ビデオでは色々技の説明があったのですが、全く意味不明でした。しかし、全ての動きが柔らかいのです。そしてその動きが美しいのです。
その時、自分が目指しているものがこれだと気付きました。
身体が固いのは柔軟性が乏しいからではなく、身体の動きが固いということを。
自分の体を自分の意思で自由に動かせていると当たり前に思っていてが、実は思い通りになど全く動かせてはいなかった。その不自由さが気持ち悪かったのです。
その後、ビデオの主である師に入門を許され現在に至ります。
入門後、師から指導を頂く機会を得て、そしてお話を聴く機会も増えてきました。
このブログは私の気付きを記載していますが、師のお言葉を自分なりに反芻した結果この様な内容となっております。
全ての動きが柔らかくそしてその動きが美しい師は自ら、身体は固く、走っても足は遅い方だったらしく、運動会は苦手で運動会が雨で流れたらと考える少年だったと話を聞いて、光明を見た想いになったのです。
なぜなら、そんな素晴らしい動きが出来る人は元々運動能力が高い場合がほとんどです。
一流のアスリートは、元々運動能力が高い上に努力して結果を出しています。運動会など楽しくて楽しく仕方ないだろうし、他の子とは明らかに違う動きができたので、目立ったに違いありません。
しかし、師は先天的な運動能力は持ち合わせていなかったとおっしゃいます。
ですから、師の身体能力がビデオに映された動きを創ったのではなく、武術の稽古を行なった結果あのような動きが出来上がったと考えられたのです。
ビデオの中でも木刀の柄を左手で巻き取る術があるのですが、その時の左手首の動きが何とも言えない柔らかい動きに感動し入門を決意したのですが、あのなんとも言えぬ手首の動きに未だに憧れだけでその様なはなりません。
しかし身体の柔らかく美しい動きは、術そのもの、術の現れた形そのものですので身体の柔軟性が高いから、身体能力が高いからと言ってもあの手首の動きは出来ません。
武術は身体を動かせば、その動きが全て術になる。
逆に言えば、身体の動きに全くの無駄がない。
それが武術的身体と言われ所以です。
その様な身体に行き着くには、10回ぐらい人生が必要になるでしょう。