力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

腰が高いと動作が不利になる意味

武術において腰を低く構える事は必須であり常套ですが、意外とこの基本の形が守られていない事がよくあります。

それは腰を低く落とす重要性が理解出来ていない、そして腰を低く落とした方が動作において有利である事が実感されていない場合は、ないがしろにされやすい様です。

長年稽古をしていても、兄弟子から「〇〇さん(私)、なんだか腰が高いような感じがする。」と指摘を受けました。

自分は腰を落としているつもりになっていただけでした。

まだまだ、型どおりの形には程遠い、我流の形です。

頭では腰を低く落とさなければ、腰を入れてとか考えているうちは型にはまっていない状況であり、それさえも忘れて勝手な動きを自分なりに行っているようでは「術」でもなんでもない、ただ運動しているだけです。

師はそのことを「創作武術」と茶化します。

「術」としてのエッセンスが型の中にあるわけですから、型から外れて創作してもたいしたものは生まれません。

そして型を行う以前の問題として、構えが重要になります。

動作を行うスタートの地点で間違った、あるは非効率な状況で動き出してその後正確な効率の良い動作が出来るとは思えません。

「始めよければすべてよし」のように、出足となる形すなわち「構え」ができていなければその後の動きが良くなる可能性はほとんどありません。

その構えの腰つきが高いのです。

一つ言い訳ができるとすれば、兄弟子の言葉が以前であれば「腰が高い」と一喝されたものですが今回は「なんとなく腰が高く見える」との表現でした。

その辺りを自分なりに分析してみると、腰の位置はそれなりに低い様だが、何かに問題があると捉えられたと感じたのです。その何かを改善しなければなりません。

例えはその場で腰を床スレスレまで下げたとしても、見え方は変わらなかったと思われます。それは、腰の高さの問題では無く腰の在り様に問題があった訳で高さを変えても問題の解決にはなりません。

腰が高い在り様とは、床に対して腰が高いのでは無く、肚(はら)に対して高い事に気付いたのです。ですから腰をいくら床に近付けても腰が低いとは言えません。

肚と腰は表裏一体の関係ですが、これらの高さが一致する事が重要です。どの様な腰の位置でも肚に対して一寸でも腰が上がれば腰が高い状態になってしまいます。

腰が上がれば、重心が前方に移動します。重心が前方に移動すれば、脚の前方の筋肉で身体を支えようと筋肉が緊張してしまいます。そしてこの緊張が動きの邪魔になってしまいます。

(一般的には腰を後方へ引く、あるいは身体全体を後傾させ、前に移動した重心を中央に維持させる補正動作を反射的及び自然に行うため重心移動に気付かない)

そんな些細な緊張など大した影響がない様に思われがちですが、明らかに相手に伝わり、影響を受けた相手もその緊張に対して緊張を起こします。

一般的日常動作においては、微細過ぎて無視してしまいがちですが、生物間では感じ取る能力を充分持ち合わしています。しかし、弱い力ほど無視しがちで、無視しても悪影響はほとんどありません。でも、感じ取る能力はないのではなく有り、ただ無視しているだけなのです。

構えを作るとは、この緊張も削除する必要があります。余計な緊張は動きの邪魔にもなりますし、相手や周辺の人に緊張反応を起こさせてしまいます。結果的にこれらの緊張は動作においては不利な条件となってしまいます。

不利な条件となる余計な緊張を起こさせないためには、踏ん張らない位置で立つ事、そのためにも肚と腰の高さを一致させ重心を身体の中心に維持する必要があります。そして、動作を行なっていても身体と重心がずれない様にしなければなりません。

しかし、その状態で腰を落としても、大概腰が肚よりも上がってしまいます。

それは、以前腰を入れるの記事に書いた様に腰を割る事が出来ていない場合、股関節が屈曲してしまい前屈みの状態となってしまいます。

 

nara344970.hatenablog.com

 

腰を低く落とすと重心が低く安定するにもかかわらず、動き易いと言う相対する条件が同時に得る事が出来るのです。

だから、腰を低くそして落とすのです。

その形がきちんと出来た時、「なるほど!これは動き易いわい」と実感されるのでしょう。

その形が出来て初めて型の動作が始める事ができるのですが、そこに至るプロセスはまだまだ前途多難であり、腰を低くするだけでも難儀、それを落とす事もまた難儀。まあ、行きつ戻りつする事が術を練る作業と捉えれば納得できるかなあ〜