力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

ピアノのタッチは鍵盤にもたれない

人の振り見て我が振り直せと言いますが、妻のピアノのタッチを見ていると気づいた事がありました。

鍵盤に指がもたれていること。

肘は手首の位置を保つために上腕で引き上げられているにもかかわらず、指は鍵盤に預けて打鍵している。

変に脱力などするとより指が鍵盤に寄りかかり、余計な力が加わってしまいます。

音を鳴らすための作業とそれ以外の作業が打鍵という作業の中に入り乱れていて、その中でも身体を空間に対して維持することは結構大変です。

だから、何かにもたれかけたり、寄りかかったりすると楽になるのです。

混み合う電車で立っている時、居眠りをして隣の人に寄りかかった経験はないでしょうか?

もたれかかると楽ですよね!

でも、もたれかけられた人は迷惑ですよね。そして、もたれかけられた分、より力を入れて身体を支えなければならなくなります。

もたれると言う行為は、余計な力が生じるのです。

それも自分の身体の外側で、だから自分で気づきにくいのです。

自分がピアノの鍵盤にもたれかかって鍵盤を押しているとは思いもよらないと思います。

ピアノの音は鳴っていないから押していない。

それはそうでしょうが、寄りかかりもたれることでピアノには力が加わっていることになります。

武術の稽古を行っているとつい、相手にもたれかかってしまうことがあります。

そうすると、自分の身体を相手に預けていることになり自分は自分の身体を支えなくても良いので楽なのです。

しかしそれは、相手を押していることになり、それに対して相手は押し返そうと反応してしまいます。

もたれられると人は力を入れて身体を固めて対応します。ピアノも同じように硬く反応するに違いありません。物理現象の作用反作用のように。

例えば、体重計に乗った状態で手を壁などに触れると体重が軽くなるように、自分は壁にもたれかけ体重を壁に預けているなど考えも及びませんが、身体の重みを壁に寄りかかることで脚にかかる重さが分散され脚に掛かる重さが軽くなります。

脚にかかる身体の重みが、もたれることで力がそちらの手の方にに逃げて体重が軽くなります。

指がピアノの鍵盤にもたれかけることで、身体の重みが鍵盤を押えていることになります。言い換えると力を入れてピアノの鍵盤を押えていることになるのです。

もたれるとは、自分が力をいてていなくても力が入った状態になっているのです。

なかなか、納得できないでしょうね。

自分は力なんか入れていないのに、力が入っていると言われてもピンとこないでしょう。

自分が力を入れているのではなく、力の入った状態になっていることが問題です。

力を抜くとか、脱力するとかの問題ではありません。

いくら脱力しても力の入った状態をなくさなければ、力が抜けた状態にはならないのです。

特にグランドピアノのタッチはデリケートになると察します。

少しでも指が鍵盤にもたれてしまえば、力みが生じ動きの邪魔になってしまうでしょう。ピアノを弾いたことのない素人が知ったかぶりのことを書いていますが、以前横山幸雄氏の手首の運びを真横から見る機会があり大変参考になったことがあったのです。

武術の極意を横山氏は表現されていました。

まさかピアノの演奏で武術の極意に気づくとは思ってもいなかったのでとても衝撃的な思い出となったのです。

楽器演奏や舞踊などの芸術は、武術と同じく力を使わないことが必須条件だと思うので求めているものは同じになるはずです。

力を使うスポーツは違うと思います。

ですから、芸術、武術はスポーツの感覚では成立しないように思います。

いかんせん、現代は力を入れて動くスポーツ的感覚が常識となる世の中では理解しにくいことは当然です。

人やピアノの鍵盤にもたれかかる感覚は、身体に力が入っているとわからなくなります。

力を抜くことで気づかなかった世界が一気に広がる瞬間が現れます。