本日読売新聞編集手帳のキーワードは「尻」からの「幕尻」。奈良市出身の徳勝龍関を番付最下位の幕尻からの快進撃を讃えていました。
「尻」といえば、月に一度「師」に直接指導を受ける機会に発見がありました。
朝一番の準備体操的に手解きを受けた時です。
いつも通り、腰を落とす動作で師の動きを受けたところ案の定、腰が取られ見事に真下に落とされてしまいました。
特に急激に強く落とされたわけでもなく、逆にゆったりとフワッと浮き上がる様な感覚でしたが、腰がスッと落ち、尻が畳に着いた瞬間に“ズキッ”と痛みが走り脳天まで突き抜けた感じを受けたのです。
その後10分ほど余韻が残り、なんとなく右手で尻を押さえながら稽古をしていたところ、ふと尻ではなく肛門が痛い事に気づいたのです。
それが今回の発見です。
おわり・・・・ではなく、、、
腰が落ちた時に肛門が直接畳に直撃した事に気付いたのです。
だから痛みが身体の中を伝って脳天まで行き着いたのかと、合点がいきました。尻餅を打ったぐらいではそうはなりません。
問題は、尻を打つのと肛門を打つ違いです。
尻を打つ時は餅の様な立派な臀筋がある為それがクッションの役目を果たしてくれて衝撃を緩和してくれますが、直接肛門を打つと衝撃を緩和するものがありません。
だから痛い。
ということもありますが、真の問題は直接肛門を打つ事が不思議です。
肛門は尻の奥に隠され余り表立つ事はありません、普通肛門を打つ前に尻に当たるはずです。尻餅をつけば先ず尻の臀筋に当たり、間接的に肛門に衝撃が走るのなら誰しも納得がいきます。しかし、その時尻を打たず直接肛門にヒットしたのです。
一般の方であれば、そんな事はどちらでも良いと思われるでしょうが、私にとっては相当の衝撃的出来事(打った衝撃ではなくこの出来事がショック)だったのです。
例えば、今尻を打って下さいと言われれば尻餅を打つ事はできますが、肛門を打って下さいと言われてもなかなか出来るとは言えません。
それは肛門が躯幹(体幹)のほぼ真下にあり、尻に隠されているからです。
肛門を打つ為には、躯幹(体幹)を直下に落とし、尚且つ尻を割らなければ肛門には当たりません。
この動作を自分でやれと言われても出来ません。
先ず躯幹(体幹)を真下に落とす事が難儀です。
一般的には身体を下に落とす場合は、身体を支えている脚の力を緩める事で身体が下に下がります。この下げ方は、股関節など脚の関節部分で回転運動が起こり真下ではない方向(ほぼ後下方)へ曲線を描きながら(回り道をしながら)床方向に進み、最終的に肛門より後方の臀部で着地します。
そして腰を落とす為に脚を開いたとしても尻を割ることもなく肛門は臀部に守られたまま終わります。
腰を真下に落とすとは、躯幹(体幹)が先に動き始めてその動きの邪魔をしない様に股を割ると躯幹となる幹がいきなり直線で落ち始めます。
脚の関節を使っていないので回転運動がなく躯幹がいきなり真っ直ぐ畳に向かって落ち始めたと同時に股を広げる事で尻が開き一番下にある肛門が顔を出し、直線という最短距離で畳に当たるのです。
出来そうで出来ません。それは、一般的動作は手脚の動きを優先させ躯幹(体幹)の動きをないがしろにする傾向が強いからです。
ですから、躯幹(体幹)を動かす前に手脚が動いてしまい本来の躯幹(体幹)が真下に動く動きを阻害してしまいます。
近年体幹トレーニングが流行り出して結構な時がすぎましたが、躯幹(体幹)を使うとはいにしえより連綿と続いた使い方とはまったく違う使い方と言って良いでしょう。
古武術ではテヲモッテセズ、アシヲモッテセズと戒められてきました。
そしてその躯幹(体幹)の動きが身の規矩(みのかね)の基準となり得るのです。
特に今回の腰を真下に落とす行為は、規矩準縄(きくじゅんじょう)の「縄」に当たります。縄とは、下げ振り縄の事で鉛直=重りをぶら下げた縄は必ず垂直を表します。
師の動きが素直に伝わり躯幹(体幹)を鉛直に落とす事を身をもって教わる事が出来大変ありがたい出来事だったのです。
言葉で「腰を落とす」と簡単に言いますが、現実に腰を真下に落とす事は非常に難易度の高い動作なのです。(似た様な事は誰でも出来ますが)
真下を作る事自体が技になり、それを作る為には普通に力を使っていては出来ません。
力を抜く事で動きが成立するのです。