力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

身体の中の使い方で動きの質が変わる

電車を降りてプラットフォームから改札へ上がる階段を人波にまぎれて上っていると、周りの人達が左右に身体を揺すりながら上がられている事が結構気になる今日この頃です。

階段を上がる時や下る時は、平地を歩く時よりたくさん脚を上げたり下げたりしなければなりません。そして脚を上げている時間も長くなるので、階段の昇降は面倒な動作の一つです。

そこでヒトは効率よく階段を昇降しようと企みます。

脚を高く上げるより、脚を上げた反対側に身体を倒し倒れ掛かる角度が強ければ、より脚を上げずに済みます。また身体を左右に振ることで脚を上げている時間も短縮できバランスも取りやすそうです。

きっと、朝のラッシュ時間より夜のラッシュ時間のほうが身体の揺れ幅が大きいのではないかと想像します。

皆さん疲れると身体を動かすことが億劫になり、身体を動かさないように省エネで動作するのではないでしょうか。

身体を動かさないように省エネで動作すると、見た目に身体が大きく動いているように見えます。

近所のスーパーで老齢の御婦人が身体を左右に大きく揺すって歩いている姿を見ていても、重心を左右に振り捻る事で脚を出しているだけで関節や筋肉を可動させている様には見えないのです。まるで紙相撲の人形が振られているだけで、ほとんど身体は動いていないようです。

見た目は動いているように見えても、実際の身体の動きはほとんど動いていません。

動作が出来ているので、身体が動いていると思っても実際は身体が動いていない場合があります。

逆に身体が動いているとはどのような場合があるのでしょう。

例えば、重心が左右上下の移動を最小限に制御されたお能のすり足などは非常に身体を巧みに動かさなければ出来ない動作だと思います。

やってみるとわかりますが、片方の脚を上げて前に進もうとすれば必ず腰がグニャっと反対側に押し出され、重心が反対側の脚に乗り、重心の奇跡は左右にカーブを描きます。

また、脚を前方に出せば腰が下がり重心が上下動する事により、重心の軌跡は上下にカーブを描きます。

真っ直ぐに進もうとしても現実は真っ直ぐ進む事が出来ません。なぜなら自分が動こうと思った動きとは違う動きが起こってしまうのです。

当然といえば当然なのですが、身体は反射的にバランスを取ろうと勝手に身体を動かし制御を行います。そこで意図しない動きが含まれてしまいます。

お能の摺り足などは、身体が勝手に動く意図しない動きを起こさせない様に綿密に筋肉を動かし重心を制御し、重心がカーブを描かずほぼ真っ直ぐに進む事が出来ます。真っ直ぐ歩くなんて途方も無く難しい動作と言え、この様に身体を制御する為には繊細に巧みに多様に動かさなければなりません。

老齢のご婦人の歩き方とお能の摺り足は、同じ様に身体を前に進める動作ですが身体の動き方と身体の使われ方は全く異なる動作です。

よく動いている様に見えても身体はあまり機能していない動作、反対にあまり動いていない様に見えても身体が巧みに機能している動作。

武術や身体藝術、楽器演奏などは、身体の使い方でパフォーマンスの質が如実に変化する典型です。

見た目は同じ様な動きに見えても、身体の中の動きの違いにより結果に現れる作用に違いが出るはずです。

色々な事を表現する為には必ず動かなければなりません、その動きの発端を身体の表面が動く以前の身体の中ですでに始まっている。その見えていない動きこそ動きの本質になりえるのではないでしょうか.。