力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

響かない様に自分を抑え込む力

自分の思いを表現し伝えるためには、伝える相手と響き合わなければならない。

 

でもせっかく響かしているのに、それを止めようと働く力も身体に存在する。

 

響かすためには、この響かせないようにする力が出ないように徹底的に身体をコントロールし打ち消す作業を行わなけらばならない。

 

一部の武道流派では体を極限まで酷使させ、もうこれ以上動けないところまで体を追い込む稽古をし、そこから体を制御する能力が技になる原動力だとする流派もあるようだ。

 

方法はともかく、力で体を制御することを排除しようとする試みの一つだとは理解できる。

 

だが、スポーツの世界でも「しごき」と称して体力の限界まで体を酷使させ鍛えるという方法があるが、忍耐力の養成であって技が上達することは考えにくい。

 

力で体を動かす事が当たり前の世界で力以外で体をコントロールすることは、それ自体が技ではないか。

 

といって力を抜いてしまえば、動くことは出来ない。

 

では、力以外の何で身体をコントロールするのか。

 

「気」なのか「霊」なのかとなると違う世界になるのでここの本題とは異なる。

 

物理的世界で生きている以上力は切っても切れない存在なので力以外にはない。

 

重要なのは力を使わないのではなく、力のコントロールの仕方を工夫し、あたかも力が存在しないかのように振舞う事で力の存在を消してしまう方法(結果)を見つけ出す稽古を行い、それが出来た時純粋に響く動きが生まれるのではないだろうか。

 

力感を感じない力を創りあげ、響きあう振動の邪魔をせず素直に動きが伝わるシュチエーション自体が技の源になる。

 

と、ややこしく書いたが力感なく身体を操作出来ればそれでよい。

 

だから子供が何気なく動いた動きにびっくりさせるような素晴らしい動きを見せることがある。

 

子供の様に何も考えずに素直に動けば響く 。

 

それが意識的に出来れば最高だが、大人は長年こびり付いた余計な動きを削り取る作業をコツコツと行い、素直な動きに近づいて行こう。