猫背が急増する現代社会を見据えた日ポリ化工株式会社の先見性
最近、猫背の人を頻繁に見かけるようになりました。職業柄、どうしてもその点に目が行ってしまうのは、ある種の職業病でしょう。
驚くべきことに、猫背は特定の世代に限られた問題ではなく、20代から80代まで、どの世代でも一定数見受けられます。
年配の方であれば、年齢による姿勢の変化と言えますが、若い世代にも広がっているこの猫背現象の背後には、パソコンやスマートフォンの使い方が大きく影響しているようです。
まるで無意識のうちに猫背が定着しているかのように感じます。
そんなことを考えながら、久しぶりにビジネスホテルに宿泊した時のことです。
そのホテルは、ビジネスホテルにしては珍しく、浴室とトイレが分かれており、大きな浴槽でゆったりと浸かることができました。しかし、浴槽にもたれた瞬間、驚くべき発見をしました。ちょうど背骨が当たる部分が窪んでいたのです。
この経験は私にとって衝撃的でした。衝撃的な理由は二つあります。
一つ目は、メーカーがユーザーニーズにこれほどまでに対応していることです。
私の想像では、背骨が浴槽に当たって痛いという声から、メーカーが背骨が当たる部分を少し窪ませ、当たりを緩和するように開発したのだろうと思いました。
その後、数日経っても、その浴槽のことが頭から離れませんでした。
どういう経緯で商品化されたのか、世の中のビジネスマンは本当に浴槽にもたれた際に背骨が当たってつらい思いをしているのだろうかと、気になって仕方ありませんでした。
とうとうホテルに電話をして、浴槽のメーカーを問い合わせました。
教えてもらったのは、日ポリ化工株式会社という、オールFRPユニットバスのパイオニアでした。
販売とは関係ない問い合わせが迷惑であることは重々承知していましたが、ホームページのお問い合わせフォームから書き込みをしました。
すると、会社から直接電話があり、さらに驚いたことに、この商品は1985年から発売されている「SMC」というラインナップで、長年続くロングセラー商品であることが判明しました。
商品化の経緯について尋ねると、先代の社長が決めたとのことでしたが、残念ながら既に他界されており、詳細は分からないとのことでした。
先代社長の話を直接お聞きしたかった理由は、私が職業柄、猫背の人に接する機会が多く、その悩みをよく耳にするからです。
猫背の人は、背骨が後ろに丸くなり、見た目だけでなく、身体的な不調を訴えることが多いのです。
猫背の人が浴槽にもたれた時、背骨が当たる部分が窪んでいれば快適だろうと想像できます。先代社長はその点を予測して商品化したのだろうかと、思いを巡らせました。
二つ目の衝撃的な理由は、この商品が1985年からのロングセラーであることから、猫背の人々のニーズがすでにその頃から存在していたということです。
つまり、猫背は現代に限った問題ではなく、長い間社会的な課題として存在していたのかもしれません。
かつては、田植えや手工業が主な作業であり、腰を曲げることが多く、腰が丸くなった人が多かったと考えられます。
しかし、現代ではパソコンやスマートフォンの利用が増えた結果、背中が丸くなる人が増えたと考えられます。
機械化の進展により、腰を曲げずに作業ができるようになり、腰が丸い人は減少しましたが、今度は背中が丸くなる人が増えたのです。
AIが進化し、将来的にはパソコンやスマートフォンを使わずに目的が達成できる世の中が来るかもしれませんが、現代社会では背中を丸めて猫背になることが日常化しています。
これは、かつてのお年寄りが腰を曲げることが普通であった状況と似ていますが、違うのは若い世代にまで猫背が広がっている点です。
現代の人々の進化(変化?退化?)に合わせた製品が登場していることに、私は大変驚かされました。
昔は畑仕事で腰が曲がり、今はスマホで背中が丸くなる。将来の身体は、どんな影響を受け、どのように変化していくのか、気になるところです。
東京メトロの対応力は古武術における「型」にあった
先日、NHKの「100カメ」という番組を偶然見ました。オードリーのつぶやくようなコメントが番組にマッチしており、とても楽しい視聴体験でした。その日のテーマは東京メトロの一般には入れないエリアを100台のカメラで撮影し、普段の状況をモニターするというものでした。特に興味深かったのは、朝のラッシュ時の対応です。
東京メトロの朝のラッシュ対応
東京地下鉄の利用者は、何十万人もの人々が短時間に集中して利用します。そのため、多種多様なトラブルが発生します。例えば、車内で体調を崩した人が駅員の迅速な対応で救助されたり、車内で吐瀉物が発生した際には、各駅で迅速に清掃が行われ、運行の遅れを最小限に抑えたりしています。また、ドアに物が詰まったりすることもあり、その都度職員が柔軟に対応しています。
マニュアルの限界と柔軟な対応
私たちは東京メトロの運行がシステム化され、マニュアル通りに動いていると思いがちですが、朝のラッシュ時にはそのマニュアルが通用しないことがよくわかりました。何十万人もの人が利用する中で、様々なトラブルが発生し、ダイヤの乱れも避けられないことが理解できました。それでも東京メトロや日本の鉄道運営者たちは、ダイヤの乱れを最小限に抑えるために様々な工夫をしています。
日本と海外の鉄道運営の違い
海外の鉄道では、トラブルが発生すれば運行が遅れるのは当然と考えられています。しかし、日本ではトラブルが発生しても、遅れを最小限に抑えるためにシステムを駆使し、手動で運行を回復させる努力が行われています。これが日本と海外の鉄道運営における根本的な違いです。
武術と鉄道システムの共通点
日本の鉄道システムの根幹には、古来からの武術の「型」の考え方が根付いていると感じました。武術では型を崩さず、構えを保持することが重視されます。これは、基本的な行動ができることによって、様々な状況に対応できるという理論に基づいています。東京メトロの職員も、基本的な行動をふまえ、臨機応変に対応している様子が見られました。
その結果、状況が崩れても運行状況を崩さず、何もなかった様に振る舞う。
この様な発想は、海外ではあり得ず、日本独特の発想であり、日本人のDNAに染み込んでいるのでしょう。この精神は、日本人のモノづくりにも必ず活かされていると考えられ、軽薄短小の世界での根本的優位性の根源になると思います。
日本の価値観と未来への懸念
今回の「100カメ」を通じて、日本独特の価値観が鉄道システムにも活かされていることを知り、大変感激しました。しかし、日本人が減少しているというニュースを聞くと、この価値観が失われるのではないかと心配になります。侍の行動や考え方が現代にも生きており、そのような価値観が維持されることを願っています。
日本人が空気を読む理由は、侍の感性が残っているから
久しぶりに妻と新幹線に乗って東京からとんぼ返りで帰ってきました。
帰りの時間に少し余裕があったので、東京駅を外から眺めようと駅正面の丸ビルにあるスタバに。
たまたま、駅に向く一人かけの席が一つ飛ばしで2つ空いていたので、とりあえず男性を挟んで、2人席を確保したのです。
妻がコーヒーを買いに行っている約6~8分の間、私は隣の男性の行動を観察し席を変わってもらうタイミングを見計らっていました。
妻が戻って来て落ち着いたのち、男性がPCから目を離し身体を起こした機を見て、男性の右肩を人差し指でトントンと・・・
男性は気づかず、2度目でヘッドフォンの片方を外してこちらを向いてくれたので、「席を替わってもらえませんか?」と尋ねました。
すると男性は「何で?」と。
私はその返事を想定していなかったので、どぎまぎしながら妻を指さし「話がしたいから・・・」と答えると、
男性は舌打ちをしながら、PCの蓋をドンと音を立てて閉め不機嫌な顔をして席を変わってくれました。
その後、ちょっとした旅行気分もなくなり、こんなことは東京では当たり前なのだろうと反省しながら重苦しい気分で家路に着くことになったのです。
考えてみれば、スタバの人口密度は大変高く、後ろでは女性二人が大きな声で話に盛り上がる中、PCとタブレットを駆使しながら作業に打ち込もうなら外界の情報をシャットダウンしなければ集中できないでしょう。
だから、両隣に席を替わってほしそうな夫婦連れが来ても気付かず「何で?」と答えたのでしょう。
集中力を高める手段として余計な情報をシャットダウンすることは有効です。
しかし、デメリットもあるでしょう。
あのシチュエーションで気弱な私だからよかったものの、護身用に刃物を忍ばせた短気な者であればカッとなって、刺されていたかもしれません。
それに、いつもそのような環境にいると外界の様子に関心を持たない習慣がついてしまうのではないでしょうか。
大きなお世話だが、身近で危険な状況が起こったら逃げ遅れる可能性が高くなるでしょう。
そんな事がないように、五感を周りに向けて危険を早い段階で察知する習慣があった方が、危険から回避できる可能性は高いはずです。
集中する事が苦手な私は、自分の席の両横が空いていて夫婦連れが店内に入ってきた時点で意識はそちらに削がれて、変わってくれと言われるだろうか?それとも先に隣へ移動しておこうか?余計な気を使わない方が良いだろうか?とか色々考えてしまい、自分の事に全く集中できないタイプである。
私の肌感覚としては、日本人はこのタイプの方が多いように思います。
要は、空気を読んでしまうのです。
どうして日本人はこの、空気を読むタイプが多いのでしょうか?
私見として、侍文化が日本人のDNAに染み込んでいるのではないかと思います。
侍は戦いのプロフェッショナルであり、
侍は常に身の安全を確保するために、
このような環境で育った日本人は、
状況判断には、情報は不可欠です。
現代での情報収集はインターネットが主流ですが、当時の情報収集は「気を配る」ことだったのではないかと考えます。
「気」という感覚に近い何かが、自分から電波のように発せられ、周りの状況を察知し、この気が多ければ多いほど情報量が増え、自らが有利に振る舞える可能性が高まります。
これが「気を配る」意味であり「気配り」の元々の使い方ではないかと思います。
そして、電波のように放たれた「気」を感じ取る能力を「気配を感じる」となります。
能動的な「気配り」と受動的な「気配を感じる」は侍の一番の武器ではないでしょうか。
そんな「気」のやり取りが行われていた当時は、今みたいな便利なツールは無かったので自分の身体能力を最大限引き出し情報のやり取りをしていたと想像します。
便利なツールを駆使する現代人と当時の侍はどちらが身体能力が高いのか?
情報の中に埋もれる現代人と刀一振りの侍の情報処理能力はどちらが高いのか?
モノや情報で溢れる現代環境は、身体能力なんて必要としていないことがよくわかります。
これは進化なのでしょうか?退化なのでしょうか?
いずれにしても、日本人が空気を読むことが得意なのは侍の身体能力が染み込んでいるからだと考えます。
開脚ストレッチで腰痛になり回復する
またやってしまいました。
元々体の固い私は就寝前に開脚ストレッチを習慣づけてきましたが、これで腰を痛める事が二度目になります。
続けていると徐々に脚の可動域が広がり、上半身が倒れてくるので、ついやりすぎてしまいます。
初めの間は脚を無理のない範囲で広げて5分ほど座るだけが、だんだん上半身の前屈を入れ出します。
もっと曲げたくなるので正面にあるベッドの縁をつかんで手でグイグイ引き出します。
その結果、朝ベッドから起き上がろうと腰に力を入れようとするとズキンと痛みが走り、そろりとしか動かせません。
腰の動ごける速度より早く動こうとするとズキン、少しでも身体を傾けると腰が体を支えようとしてズキンと痛みが発せられるのでゆっくりとそして突っ立つ状態でしか動けません。
洗顔しようと腰を曲げようとしようものならズキンと痛み、腰が抜けそうになります。
ですから、洗面台の縁を持ち腰に力を入れない様に寄りかかり、肘で体を支えながら肘から先で水をすくわないと前かがみの姿勢を維持する事は出来ませんでした。
そして、靴下が履けません。
足先を自分の方に引き寄せる事が出来ないのです。
それでも何とか手の指先に靴下を広げた状態でひっかけて足先に届きそうで届かないもどかしい思いで四苦八苦しながら、ようやく履ける有様でした。
上半身を曲げたり、脚を引き寄せたりする動作でズキンと痛みが走り、腰が抜けそうになるので、動かす事が怖くなります。
良かれと思って行ってきたストレッチが仇となって帰ってくる。やらない方がよっぽど利口なようですが、ついやりすぎてしまいました。
開脚ストレッチを行う事でなぜ腰痛になってしまったのか?
自分なりに考察してみました。
まず、曲げたり伸ばしたり動かすとズキンと痛み、振動が加わってもズキンときます。(咳やくしゃみは危ないです!)
しかし、動かずに寝ていたり、直立で突っ立っているような負荷の少ない状態では痛みは全くありません。
この事から動くと問題が起こるようです。
動きの原動力は筋肉の収縮力ですから、筋肉が何らかの影響で収縮しなくなってしまった感覚です。要するに筋肉が固まって動かない状態です。
開脚ストレッチで筋肉が収縮しなくなってしまったのか?
そういえば、開脚を軽く行っている時はほとんど力みはないのですが、開脚がエスカレートしてくると骨盤内の筋肉を強引に緊張させて上体の屈曲を行っていました。
可動域を広げようと脚や腰の筋肉を伸ばすのではなく、骨盤内の筋肉の緊張により筋肉を収縮させて上体を曲げこんでいた感じです。
筋肉が収縮に順応している間は徐々に可動域が広がっていくのですが、痛みが現れた時点では動かす事が出来ません。
この状態は、筋肉の疲労状態がMAXに高まった状態です。結局は特定の筋肉に負荷をかけすぎて疲労を起こし、筋肉が動かなくなってしまった様です。
これは筋肉がストライキを起こした訳で、ストを解除するまでまたなくてはなりません。
筋肉が疲労すれば回復させなければなりません。
そのためには負荷をかけず安静にして循環を促し栄養を患部に流し修復材料を送り込むことが早期に回復できる条件です。
この回復時の待ち方が早く治るか、はたまたなかなか治らず慢性化するのか、分かれ道になると思います。
患部に負荷をかけてしまっては、回復より疲労が上回りますので回復が望めませんし、患部を動かす事により筋肉が緊張すれば血管やリンパ管などの管を圧迫し循環不全が起こります。
そうなれば治るものも治りません。
早く回復したければ、いかに負荷を患部に掛けないかが重要です。
身体にとって良かれと思い頑張ったことが仇となって帰ってくるパターンでした。
皆様、くれぐれもご注意ください。
膝痛の原因は関節の変形ではなく使い方にある!膝の柔軟性と衝撃吸収の重要性
慢性的な膝痛の原因が、関節が狭くなっているとか、変形しているとか医者は言うけれど、それをたどればその様になる膝の使い方が結果をもたらしたのではないでしょうか?
膝を使わなければ仕事にならないと言われるかもしれませんが、その仕事をしている人がすべて膝を痛めているとは限りません。
問題は膝の使い方が硬いということ。
出来るだけ膝は柔らかく使いたいものです。
若い頃は何も考えなくても、勝手に柔らかく使えて、どの様な動きにでも対応出来たはずです。
しかし、いつの頃からか膝周辺が強張ってきて騙し騙し使った結果、関節が炎症を起こし、水が溜まり、軟骨が擦り減り挙げ句の果てには関節が変形する始末。
誰もなりたくてなったわけではありませんが、勝手になってしまいます。
勝手に柔らかく使えていた膝がいつのまにか勝手に硬くなってしまった。
勝手とは、自分にとって都合のよいやり方。また、ぐあいのよいさま。(コトバンク)
自分に都合よく使ってきた結果痛みが現れたということは、その使い方が道理から外れていたことになります。
勝手に悪くなった膝は、自分に都合よく使っている間は勝手に良くはなりません。
しかし、道理のかなった使い方をすれば改善の余地はあるはずです。
その一つとして膝を柔らかく使うことです。
膝を柔らかく使うことで、衝撃を吸収するのです。
あなたの体重が歩く度に膝に乗り掛かります。医者は、その体重を減らすこと。
もしくは、その体重を支えられる筋力をつけることを推奨されますが、使い方に言及されることはあまり聞いたことがありません。
それは、抽象的でわかりにくいから、そこまでのアドバイスがないかもしれません。
古武術稽古においても膝を柔らかく使うと指導がありますが、明確な膝の感覚はなかなか掴めるものではありません。
ただ、ちがう言い方をすれば、「踏ん張らない」が近い様に感じます。
若い子は軽やかに歩きますが、年配者は踏ん張って重そうに歩くイメージがあります。
どうしても転倒することを避けるために、自然に足に力を入れて体を安定させようと力が入ってしまいます。
力を入れて歩くことは、安定性が高まるメリットがありますが、体が力で固まっている為一旦バランスを崩すと対応が鈍くなります。
また、この余計な力が本来の動きの邪魔になり素直な動きの足かせになったりします。
踏ん張らないで衝撃を吸収する様な膝の使い方が出来れば、道理に近くなるのではなるのでしょうか。
たとえば、キャッチボールで強い球を受ける時は、肘を突っ張って、手のひらを硬くしていては衝撃がモロに伝わり痛いので、肘の力を抜き手のひらを柔らかくして衝撃に対応するはずです。
歩く時でも、膝を柔らかく使い、地面をやさしく踏むようにすれば地面からの衝撃が体に伝わりにくくなるのではないでしょうか。
立ったり、座ったり、歩いたり、普段から考えて動く人はいません。体が勝手に動いてくれています。
慢性的に膝が痛い人は、体が勝手に動く自動運転ではなく、意識的に動く手動運転に切り替えて体を動かしてみると、自分にとって都合の良い動き方に道理から外れた状態が現れるかもしれません。
それに気づくだけでも膝の痛みは改善されるのではないでしょうか。