五嶋龍氏2023年のコンサート予定を調べていたら全然出てこない。
検索で調べた範囲だと音楽活動を停止して空手道場を始めた様に伺えます。
定かではありませんが、そうであれば当分ライブで演奏を聴く事が出来ないとなると残念です。2020年に行っておけばよかった。
しかし、五嶋龍氏の空手道場ってなんて魅力的なスペースなんでしょう!
通えるものなら通ってみたい。
大好きなアーティストの一人である氏の魅力はヴァイオリンを構える立ち姿です。
残念ながら音楽的な事は全くわかりませんが、あの立ち姿から繰り出される音色は素晴らしいに違いないと思うのです。
音楽を見て楽しむ私のスタイルにぴったりなアーティストですね。
あの立ち姿、構えは演奏を奏でる前に響くに違いない状況がすでに出来上がっています。演奏する前からすで安定感、安心感を感じさせる雰囲気を醸し出している状況は、戦う前に有利な状況を作り出す武術的戦略と同じです。
こんなところに空手の技が活かされていると思います。
いつも思う事は、演奏家こそ武術を学ばれることをお勧めしたい。
演奏家の身体は音を奏でる一部分だから。
身体を使うにあたり現代運動学は筋肉を収縮させて動かす事が常識ですが、筋肉を弛緩させて使う古武術独特の身体の使い方は演奏家を含む音楽家には親和性が高いと思われ、身体を固めてしまえば身体が響かなくなると思います。
そんな思いで五嶋龍氏の演奏動画を視聴していたら、「おっ」と思う場面がありました。
その場面は曲調が変わる一瞬の事でした。
画面に映る氏の身体が瞬間的に落ちるのです。
この時の音色が音楽的にどうだったのかはわかりませんが、あの身体が落ちている時間に音は無限大の広がりを秘めている様に見えました。
なぜなら、遮るものが何一つないから。
物理的空間に居る以上そんなことはあり得ませんが、あの一瞬ヴァイオリンを持つ手の圧力や弓の押さえつける力さえもが無くなるのです。
いくら軽く持っても、いくら軽く弓を当てても物理的な圧や抵抗は生じるはずです。
でも、あの瞬間はそれらが「0」になったのです。
ゼログラビティー
重力さえ無くなったあの時間、まるでブラックホールに引き込まれるかのごとく身体ごと吸い込まれます。
この瞬間の体の使い方は、古武術の崩しをかける動作と同じです。
画面には映ってはいませんが、この瞬間に氏の腰が落ちています。
この腰を落とす動作が一般の人には出来ません。
一般的な腰の落とし方は、膝や脚を使って腰を落とします。これは主体的に腰が動いているのではなく脚によって腰が動かされている状態です。そうすると、脚の動きの後腰が動き出すのでタイムラグが生じます。
そのタイムラグが生じる事で身体の動きが順番に動いている事が見て取れるのです。また、脚を使うと関節が動きますので関節を中心とした回転運動になり真っ直ぐ落ちる事ができません。
この二点が武術的に腰を落とすことと一般的に腰を落とす事が決定的に違います。
腰が主体的に落ちると、腰から上が一気に落ちるのでタイムラグが生じません。そうした動きは動きの順番がなくなるので画像上コマ落ちの様に見えるのです。そしてより厳密に腰が落ちると動きが消えてしまいます。
そして、落ちるとは地球に直線的に向かわねばなりません。
関節を使うと構造上必ず回転運動から始まり、いきなり下向きの方向が生まれません。なのでこの動きは落ちるとは言えません。
一般的に言うと腰を下げると言えますが、腰を落とすとは言えません。現実は落ちていませんから。
腰が落ちるとは、腰が主体となり脚からではなくいきなりだるま落としの様に「落ちる」のです。
この落ちている時間は、重力が無くなり宇宙空間に居るのと同じですので指一本でどんなに重たいものでも動かす事が可能です。
大男を投げ飛ばす技術と楽器を響かせる技術は共通しているところです。