力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

古武術は来ると思ったのに来ない時の落胆が技となる

仕事でクライアントとの時間を取り、用意して準備万端「いざ」となった矢先、相手先からのキャンセルの連絡が入った時の落胆の度合いは大きく、気分が落ちます。

先月、義理の父が法事で広島に行きたいと言い出しました。

私の妻は、体力的に無理だからやめておけと説得を続けましたが、しかし、どんどん頑固になっていく義父は聞く耳を貸しませんでした。

仕方なく妻は義父を連れて広島にいく事になりました。

さて日取りはゴールデンウィークの真っただ中、新幹線とホテルの予約が大変ですが、必死の思いで二人分押さえたようです。

妻も義父が最後の旅になるだろうと、最後の親孝行のつもりで仕事と楽しみにしていたコンサートのキャンセルをして日程調整をしていたところ・・・

先日義父が、「しんどいので広島にはいかない」と言い出しました。

それを聞いた妻は、落胆・・・ではなく、、普段からスケジュールが乱れる事を極端に嫌う妻は怒り心頭に達しました!!

当分近寄れません・・・

 

来ると思っていたのに来ない。

行こうとしていたのに行かない。

期待や希望通りにならずがっかるする「落胆」は非常にエネルギーを削がれます。

人と人が向き合い対峙する時にエネルギーのせめぎあいが起こり、パワーバランスを取り合い、お互いが有利不利に均衡を取り合います。

近代武道やスポーツは、このパワーバランスを有利に立ち回るために正(+)のエネルギーを重要視します。

柔道であれば相手より強い力で投げる、空手であれば強い突きで相手に力を浸透させる、ボクシングは強い力でダメージを与えるなど相手より強い力で均衡を崩し自らが有利な体勢を作り上げます。

古武術は正(+)のエネルギーというよりも負(-)のエネルギーを重要視するのですが、先ほどの「落胆」のエネルギーと似ていると思ったのです。

落胆とは広辞苑に「失望してがっかりすること、力を落とすこと」とありました。

力を落とすことは、胆を落とす事を意味します。

胆とは、体の中で勇気や度胸の生じるものと思われているところ。きもったま、とあり落胆はこの「きもったま」が削がれる状態に陥りエネルギーが弱くなっている状態。

パワーが低下するではなく気持ちが萎える状態です。

この状態は、空手やボクシングのフェイントではなくやる気が失せてしまい戦意喪失状態です。

古武術は、相手が戦意喪失状態になるように振る舞います。そのためには、相手に力を伝えない事が必須条件となります。

力が相手に伝わってしまうとその力を手掛かりに相手は反応・反撃を起こします。

と言って引いたり、逃げてしまっては隙が生じて自らが攻撃の対象となりますので、体勢は攻撃体勢を取り、相手の攻撃を迎え撃つ体勢は必要です。

結果、力が伝わらない様に攻撃する。これが負(-)のエネルギーというのでしょうか。

現代スポーツでは意味不明でしょう。

現代スポーツでも日常動作でも経験を通して動きと力の関係を学習しています。

大柄のボクサーがあの速さでパンチを出したらこれぐらいの衝撃が来るだろう。とか見るからに重そうな荷物は腰を落として持たないと腰を痛めるだろう。など経験的に将来の状況を予想して体の態勢を整えて対応するでしょう。

古武術はその予想をことごとく裏切る動きを心がけます。

来ると思って来ないではなく、来ると思って来た、あれ!来てない!!いや来ている!!!そんな混乱状態に陥ったら戦意などどこかに行ってしまいます。