小学生のころからスポーツや運動時に身体の力む感じが気になり、ずっと気持ち悪かった思いがありました。
普通に身体は動いていても身体の奥は動いていない感覚です。
後にメンタルの問題かと考えましたが深く掘り下げることもなく、身体の奥で力む感じを悶々と感じながらいろいろ模索した結果、古武術に辿り着きました。
古武術の稽古を通じて気付いたことは、自分の身体が思い通りに動けていると思っていただけで無理や無駄のある動きを非効率なままに我流で動いていた事、実際は思いとは裏腹に決められた動きになるとまったく動けないのです。
古武術の稽古は、100%「型稽古」を行い、決められた動作を取と受で示し合い、一連の攻防を執り行います。
短い型だと二動作程ですが、全く型になりません。
たかだか二動作でも、型通り動くことが出来ないので受を崩すことが出来ないのです。
似たような動きは出来ても、相手となる受が崩れなければ型通りとはいえません。
型のエッセンスは、戦国時代から実践で培われた生き残るための身体操作にあり、一見単純そうな動きでも複雑な意味を持ちます。
この動きの意味を紐解く作業が、稽古のほとんどの時間に費やされます。
そこでの気付きが、少年期から悶々とした感覚を薄皮を剥がすように変化をもたらして来ました。
その中で共通することは、「力は絶対に入れてはいけない事」です。
力を入れないで動くことが型稽古の絶対条件なのです。
一見ありえないようですが、うまくいった動きは力感が残りません。
きちんと動けた時は、力を入れて動いた実感が湧かないと思います。
そんな体の操作を自分の気付いた範囲で綴りたいと考えました。