力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

肘の使い方

振り出しに戻ってから二ヶ月が過ぎた。

やはりよほど意識しないと肘がゆるい感じがして、完全に伸びているとは言えない状態が現れる。

稽古の過程は大阪から東京へ向かう道中静岡あたりで引き返し、またようやく京都に入ろうかとうい感じだろうか。

普通なら心が折れて諦めてしまいそうだが、このような振り出しに戻るシュチエーションはしょっちゅうなので、10年間が遡ってもいつもの感覚でいられるのは良いことなのか悪いことなのか。。。

しかし、今回の振り出しに戻る事で肘の有り難さが身をもって感じ取る事が出来た。

肘の存在は大変有り難いという事。

例えば、肘の関節がなければ生活は大変不便な事になり、動作は一変するでしょう。

今、目の前にあるビールグラスを取る事はできても、肘が曲がらなければ口に運ぶ事はできません。

何気なく肘を使ってはいますが、肘が機能する事で人は大変便利に動作する事が出来るのです。

ただ、この便利な事が災いとなると今回学びました。

人類は、不便を強いられた環境から改善を模索し便利な世の中を築き上げてきた歴史があります。

ですから、不便と感じると便利になるように工夫するDNAが働いてしまいます。

それで人類が進化し文明を発展させていたと言えるわけですが、今回肘を使う事(曲げる)で動作が楽にできるようになっていたのです。

便利を享受した今の世の中で失われた物事が有るように、肘を便利に利用し動作させる事で、その他の身体の機能が活性化しなくても動作できてしまう錯覚に陥いるデメリットが生まれる事が自覚できたのです。

自動車が出来て便利な世の中になった反面、歩かない習慣により足腰が弱るデメリットが生まれるように、肘を器用に使う事で体幹の動きがおろそかになった事が挙げられます。

特に上半身の体幹部を操作しなくとも、肩や肘の関節が動く事でパフォーマンスは達成されますが、体幹部は動作しません。

今はやりの体幹トレーニングを行っても、その前に手足の末端にある便利な関節が先に働いてしまうと体幹トレーニングの意味がありません。

身体は動き易いところから動く特性があります、ですから動きにくい体幹部より手足の方が先に動いてしまうのです。

今回気づいた事は、便利で使い易い物事を横において、あえて動きにくい扱いにくい物事にこだわる事でより深い所の身体を動かすことの大切さに気づく事が出来た。

基本動作を行うにあたり、肘を曲げると楽に行う事がで来るのです。

しかし、楽に行うことで本来動いて欲しい部分が動かなくてもでできてしまうトリックに陥ってしまっていた。

肘を曲げてはならないのは、本来働かなくてはならない所が働けるための方便だったのだ。

「稽古(いにしえを考える)」つくづく昔の人は偉大だと思います。