横山幸雄氏の演奏での気付きの2つ目は、手首を使って動きを生み出している事。
手首がきちんと、作用させる事とでも言うのでしょうか。
逆に言うと手首を使って動作していたつもりだけで、実際は手首は使えていなかった事に気づくことが出来たとなります。
指や手首の身体の末端部は、構造上末端に行けば行くほど動き易く、細やかで素早い動きが可能です。
ピアニストに代表される演奏家は、その構造を最大限活かして超絶な動きを行います。
指、手首、肘の関節を組み合わせる事で細やかで複雑な動きが可能となるのですが、組み合わせる事でそれぞれの関節の機能が曖昧になる事もあるはずです。
求められる動きが指で行なうのか、それとも手首なのか肘なのか?
音が鳴ればそんな事はどうでも良いのか?
そもそも、分ける必要があるのか?
そんな事は考えた事もありませんでした。
よく、経営やマネジメントの世界で3、4、3の法則があって組織には3割の人が稼いで、4割は普通で3割はお荷物みたいな話を聞いた事がありますが、手の関節もそんな働き方をしているかもと考えました。
それが普通の組織らしいのですが、儲けが出れば誰が稼ごうがお咎めなし。
それが自然のルールと言えばそれまでですが、10割皆んなが稼ぐ組織があっても良いのではないでしょうか?
指100%、手首100%、肘100%働いてくれたら凄いことが出来そうです。
しかしながら現実はなかなか有り得ません。
それは、それぞれの関節を動かす筋肉が兼務しているからと考えました。特に指と手首を動かす筋肉はほぼ同じだと思います。
兼務だから指50%手首50%と言うのではなく、どちらかに偏ってしまう恐れがあります。
ピアノであれば鍵盤に触れるために手首より指に、剣術であれば剣を握る指が手首よりも意識が強くなっている様に思えるのです。
そんな時手首の作用は指や肘の作用に消されてしまいます。
手首は動いているものの指の動きのついでに動いて、まるで仕事をしているフリをするお荷物社員の様になっている。
そうではなく、手首にもしっかりとした仕事をしてもらう様、兼務する筋肉が明確に役割分担出来なければなりません。
指の仕事と手首の仕事が曖昧にならない、また肘の動きに紛れない。
兼務する筋肉は、どの関節をどの程度動かし全体の動きの中に調和させあたかも何事もなかった様に関節を動かしますが、その割合は機能するか、しないか、術になるか、ならないか、見た目はほとんど変わらず、違いがわかりません。
手首にそんな仕事を与える事が、道具を操る大切な手首の役割であると結論づけました。