力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

構えとは今まで経験し総決算した時の結果的な形・姿勢・現れ

いにしえの侍は、構えを見ただけで剣の実力が判ったと云われています。

 

対峙した相手の実力が自分より上なのか下なのか戦う前に読めるので、勝ち目のある戦いだけを戦って全戦全勝となる寸法。

 

この構えをどのように捉えるとそのように見る事ができるのでしょうか?

 

構えとは動く為の準備した形と考えると構えの精度の出来により将来の動きが予想する事が出来ます。

 

構えがシッカリとすればするほどそれからの動きの正確性が高まり、目的達成度がより向上すると思われます。

 

そんな目で大相撲の取り組みをTVで観ていると、立ち会いの瞬間に真横から見た両者の背中の丸みもしくはラインでどちらが有利かなんとなくわかる時があります。

 

取り組みの前段階で有利不利があるのであれば、取り組みを稽古する以上に構えの精度を高める稽古も重要であるはずです。

 

ではどの様にすれば精度の高い構えを作る事ができるのか?

 

しかし構えが大事だと思って構えてみてもどうなるものでもありません。

 

構えは動作の一部として捉える必要があると思われます。

 

ですから、止まってポーズをいくら作っても意味がないのです。

 

構えは動作をした結果に出来上がった形と捉えると、それまで行ってきた動作の過程が構えを作る材料になり、それら材料で結果的な構えが作られます。

 

多くの動作や経験を繰り返し行う事で動きが修正され最適な形として収斂されて行くのでしょう。

 

その過程がとても重要であり、結果的な形に囚われない方が良さそうです。

 

構えの重要さを訴えておきながら、構えに囚われるなと書いてしまうと意味不明となりますが、構えが重要ではなく構えを作る過程が大切なのではないでしょうか。

 

この過程の中で何回も何回も繰り返し失敗があるはずです。

 

失敗すれば成功するまで、納得のいくまで動作を繰り返しますが、同じ事を行なっていても失敗は失敗なので、成功するために動きを変化させなければ繰り返す意味がありません。

 

そこで成功への方向性を探りながら、ああでもない、こうでもないと微調整を繰り返す必要があります。

 

この微調整を繰り返す作業が多ければ多いほど正確性は高まり、効率の良い動作に近ずくはずです。

 

そのためには、同じ動作を繰り返し行う必要があります。

 

先ほど、同じ事を行なっていても失敗は失敗と書きましたが、同じ動作をしているつもりでも身体の動く条件はその都度変わってしまい毎回毎回微妙に違っています。

 

大雑把に捉えると同じ様に見える動作でも色々な筋肉や関節が関与し、それらを神経がコントロールするわけですが、動作がダイナミックになればなるほどそれらを制御する事は身体にとって大変複雑な作業となり、その複雑な作業を数回でマスターしそして、何時でも同じ事が再生出来るとは到底思えません。

 

其処にあるコップを口に運ぶ動作でも、コップの握り具合や手首や肘などの各関節の動く条件は何回やっても同じ条件で動く事はほぼありません、毎回毎回微妙に動作は違っています。

 

しかし、コップを持って口に運べば目的は達成されるので、結果的に同じ動作をしている認識になりがちです。

 

同じ動作の中で同じ条件で常に再生出来る様に同じ動作を繰り返し行わなければなりません。しかし、効率の悪い動き(慣れた動き)を繰り返しても意味がないのです。

 

このように同じ動きを繰り返すのですが、その中でも動きは変わり同じとはいえなくなるが良くない動きを繰り返してもダメなものはダメなのです。

 

この同じ動きの中で、進化が見られる動きといくら繰り返しても進化が見られないダメな動きがあることを認識しなければなりません。

 

構えは進化が見られる動きを繰り返すことにより、少しずつ少しずつの積み重ねにより創られていくように思われます。

 

そんな作業を何年も繰り返し行ってきた人であれば、相手の構えを見てどの段階にいるのか、自分の経験と照らし合わせれば一瞬で相手の実力がどの程度のものなのか判るはずです。

 

今まで自分が経験してきた段階と照らし合わせれば一目瞭然です。

 

自分が経験したこともないような構えであれば、実力は自分以上であるし、その構えが自分が数年前に悩んでいた構えであれば、その当時の自分の実力であることは明白です。

 

何回も何回も同じ動作を繰り返していると、細かなディテールまで読み取ることが出来ます。そして、それだけ繰り返していると見えたその形を自分も経験し悩み、もがいた思い出までも思い出されるように思います。