力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

ヴァイオリン、ヴィオラの構えは身体の左それとも正面?

左肩に乗せ、左手で支えるヴァイオリンやヴィオラは身体に対して何処にあるのか?という疑問がトイレの中で浮かび上った。

我が家のトイレのトイレットペーパーホルダーは便座に座った左側にあるからです。

ほぼ毎日トイレで左側にあるトイレットペーパーを右手で取りに行く行為を無意識に行っていた時にフト見直したら、ほぼ右手を伸ばさず身体を捻らず左肩を後方に引いた形が、身体の正面にトイレットペーパーホルダーがある形になっていたのです。

今まではそうではなかった。

右手を身体を捻りながら、ぐるっーと回して左側にあるホルダーに手を伸ばして、身体の真ん中より左側に手を伸ばしていたはずです。

トイレットペーパーを取ってお尻を拭く事ができれば、どの様な取り方をしても問題ないでしょうが、ヴァイオリンやヴィオラの演奏はトイレットペーパーを取りに行くこととは違うはずです。

身体の左側にある楽器とどの様に向き合うかにより結果が変わってくるのではないでしょうか。

武術では、正中と言う言葉をよく使います。

簡単に言えば、「まんなかのところ」となりますが、単純に物の二等分線ではありません。

身体が向いている方向とでもいうのでしょうか。抽象的すぎて表現しようがありませんが。

武術では、この抽象的な「正中」の攻防を行います。

攻防において、自分の行きたい方向に相手より効率よく行けた方が当然有利になります。お互い相手と向き合えば行きたい方向は、自分と相手を結ぶ直線上になり、お互い同一線上です。

まさしくこの同一線上をお互いが取り合うのですが、行き着くところその線上何処かでその狙う先が相手と接する点が現れます。

その点での攻防が勝敗を決めることになり、その点でお互いが押し合うのではなく、その攻防する線を相手より細くすることで、相手に割り込む線を作った方がより直線を維持し、割り込まれた方は、直線から逸れる事になり相手よりも動きや距離が生じ不利になります。

ですから、自分の目指す動きとなる「正中」を最短距離で最小の大きさの動きを作ることで相手より有利な環境を作るのです。

この正中は、常に自分の正面に置くことが理想です。

この正面の概念も難しく、例えば左半身(左肩を相手に向け左向きの構え)においての正面は左肩方向になります。

左肩方向に正面を向けるのですが、私が以前行っていたトイレットペーパーの取り方は左側に身体がズレた、身体を捻った形は身体の正面がなくなってしまうので正中と言われるものが現れません。

しかし、最近気付いた身体の正面にトイレットペーパーのホルダーがある場合は、左に向いていてもそこが正面に当たります。

見た感じはほとんど変わりません。

しかし、正中からズレた位置から動き出してもそこからの動きはズレたままです。

動きをいくら修正しても、元々のスタートの状態がズレていればそこからは技にはなりません。

なぜなら、技は技になるかならないか、二つに一つです。

途中から技になることはありえません。

技は初めから最後まで理にかなった動きが出来て技になります。

だから、初めの構えが大切になるのです。

そして、その構えを作るために最大限の労力を使って作り上げます。

その労力を惜しみなく使って構えを作ってきた古の侍は、構えを見ればどの程度労力を使ったか一目で想像がつきました。

その構えが自分より正中が細いのか、見れば自分より実力があるのか経験的に一目でわかるので戦う前に勝負の結果が見えていました。

ですから、勝負は戦ってみなければわからない事はなく、戦う前に勝敗は高確率で予想されていた事になりますので、むやみやたらの戦は無かったと聞いたことがあります。

そんな侍の目は全く持ち合わせてはいませんが、YouTubeでいろいろなヴァイオリニストの映像を見ていると、身体の正中がウァイオリンに向いている人と向いていない人がいるように見えました。

真に相手に向き合う事、真に楽器に向き合う事は同じでしょう。

自分は相手に向いているつもりであった、自分は楽器に向き合っているつもりであった事を気持ちや精神で解決するのではなく、身体を見直し気付き感じる事で身体の動きを修正する事で道理に沿った動きを身に付けたいものである。