力を抜く身体目指して古武術稽古中

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そんな時力が抜けたといえよう。

力が抜けると有利になる古武術

力で身体を動かすことが当たり前の現代の思考は、力が強ければ有利になることがエスカレートし、身体を動かす為には力を使う、力を入れる事しかありえない思考回路が出来上がっています。

しかし、西洋文明が入り込む以前の日本では、現代(西洋文化)では考えられない身体活用の文化があったようです。

例えば飛脚の走り方は、現代の走り方である地面を後方に蹴りその反動で前に出る方法ではなく、体自体を前方に倒し転倒する前に脚を出す。体が倒れる方向に脚を出し続け倒れ続けることで前に進む方法では、力が加わる方向が全く逆であるように、出来るだけ力を消費しないように工夫されていると思います。

日本人は身体活用においての工夫がとても秀でている民族であり、文明開化以前の生活は、工夫を凝らした身体でほぼ人力で行っていました。

そこで効率よく身体を使い作業を行えるように身体の使い方を工夫し、無駄を省き、極力エネルギーロスの無いよう少ないエネルギーで多くの仕事をこなしてきました。

逆に西洋では、体をたくみに使うことより身体以外の道具を発展させることで生活を向上させてきた経緯があるのではないでしょうか。

これらのように日本文化には、身体の使い方から日本独特の発想があり、日本的な身体活動を行うには日本的身体動作がおのずと発達するはずです。

その文化の中で生まれた武術は、現代の身体活動とは違う感覚で動作を行っていたと推測できます。

例えば日本刀を扱うにしても、1キロ半程の重さを有する刃物を刃筋をたてて切る行為は現代的な力の感覚では扱いきれません。

一般的に重みを感じると人は同等の力を入れて支える、または扱おうとしますので重みがあればあるほど、握る力なり、振る力なりが入ってしまいます。

しかし、その力が刃筋を狂わせてしまう外力となってしまうのです。

日本刀は重さを計るように扱うものなのです。

力を入れて握ったり、持ってしまっては重さが解らなくなってしまいます。

極力力を使わず、刃物が刃物本来の仕事が出来るように導くことが刃物の扱い方です。

力を入れて切ろうとすれば、より切れなくなり、刃物の重さを感じながら進む方向に邪魔をしないように運ぶと切れた実感も無く、結果的に切れるものなのです。

日本刀を基準とした古武術は、人に対しても触れると切れる感覚で向き合ってきた歴史があります。

強い力で抑え込んでも相手が刃物で切りつけてくれば強い力は無意味となってしまいます。

それでも刃物で切られないように逃げれば良いのですが、力がたくさん入っている部分は動きにくく動作が遅れてしまいます。

これが居着く状態です。

ですからお互い刃物から攻められぬ様細心の注意を払い相手に向わねばなりません。

そして、相手に触れても自分の存在を相手に知らせてはならないのです。

どのような世界でも、情報は一番の武器となり、相手にこちらの情報を与えぬことが情報戦を有利に進める方法です。

そのためには、相手に触れても力を加えないことなのです。

相手は、力の加わる方向、量、速度などを頼りに相手の出方を計算します。

この力を減らし、情報量を少なくすることで自身の出方を見せずに戦うことが出来るのです。

問題は、力を使って体を動かすことが当たり前の現代人にとって、力を使わず身体を動かす術(すべ)を体得することが困難な時代になったことは避けられません。

そして現代の常識に真っ向から立ち向かう勇気が必要になるかもしれません。