力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

ピアニスト エフゲニー・キーシンの歩き方

まだVHS全盛期の頃、ロシア生まれのピアニスト エフゲニー・キーシンのビデオをピアノ講師の方で、ファンでもある彼女から「何か変なので見て欲しい」と頼まれ、あまり興味はなかったのですがビデオを観た事があったのです。

ピアノ演奏のことよりも彼の動作、特に歩き方に特徴があり、手を振らずにとぼとぼ歩く姿は、日本古来の歩き方いわゆる「なんば」の歩き方でした。

古武術家の甲野善紀氏が、もともと歩き方に名称などなかったがあえて手を振らず身体を捻らない歩き方をなんば歩きと表現されてから広がったと記憶しています。

人にとってあまりにも当たり前の歩くと云う行為ですが、こだわって観てみると色々な歩き方があります。

今ではAI が歩き方を分析し、個人を判別するところまで進化しているそうです。

その、人にとって当たり前の行為を人はいつの間に形成していくのでしょうか。

ちなみに私はひょこひょこと上下する父親の歩き方が大嫌いで、絶対あの様な歩き方をしない、と心に誓いながらも気がつくとひょこひょこ歩いていました。

歩くなどの基本的動作は、意識的に考えて行うわけではなく自律神経が自動的にプログラムされた動きを無意識で行います。

健常において、歩く事は一々考えずに行っています。

ただ、人それぞれ歩き方に特徴があるということは、自動的にプロフラムされたデータの読み込みがそれぞれ違うことになります。

先天的な場合より、後天的な生活習慣や環境において動作が作られ、養われていく場合の方が個人的に影響されると考えます。

人が約一年余りで立ち上がり歩き出した歩き方から、現在に至る歩き方は色々な影響で変化するはずです。

(AI はそれを見抜いて本質を見分けられるのでしょうか?)

武術を始めてからひょこひょこ歩きを見直さなければならなくなりました。

武術的歩法の特徴として、床を蹴らない、身体を捻らない、真っ直ぐ歩く等条件があります。

ひょこひょこ歩きにかかわらず一般的な歩き方は、床を蹴ってその反力が推進力となり身体を捻って脚を交互に出し、脚を出した反対側の支える脚に重心が移動して身体は左右に揺れながら波状に進みます。

武術的歩法は、一般的な歩き方とはほぼ真逆の身体の使い方になります。

どの様な歩き方を選択しようがお構いないのですが、一般的な歩き方はいつの間に形成されたのか気になるところです。

赤ちゃんが立ち上がって歩き始めた歩き方と成人の歩き方は明らかに違い、一番の違いは、安定性にあると思います。

よろよろと今にも倒れそうな赤ちゃん歩きは不安定きわまりなく、重心の位置が高い子供はコケやすく、逆に成人になれば転倒することなく安定した歩行が可能となります。

人は成長とともにコケない様に歩く歩き方を見つけ出していくのでしょう。

それが今の歩き方。

コケなければ歩き方として進歩しているのか?

安定していればそれで良いのか?

コケない様に安定した歩き方を行う一番手っ取り早い方法が、筋肉を緊張させる事です。

筋肉が緊張する事で身体は安定しますが、逆に身体を締め付ける事になります。

成人になればなるほど身体を締め付け安定を求め、老年期には身動き出来ない程に陥る事でしょう。

それに引き換え赤ちゃんや子供の歩き方はどうでしょう。

筋肉を緊張させているそぶりがありません。赤ちゃんに至ってはほとんどバランスだけで立って、バランスの変化で歩いています。

そこには筋肉の緊張はほとんど見られず、身体を締め付ける行為はほとんどありません。

身体を締め付けず、この解放された状態で身体を操作する事が武術の術になる部分ですので子供や赤ちゃんの動きに学ぶところが多々あります。

話をエフゲニーキーシンに戻しますと、彼は成人しているにもかかわらず動作、特に歩き方などは赤ちゃんのままの様に思われます。

 赤ちゃんや子供達も成長とともに安定を求めだし、至らぬ部分を補填するために力を使い出し始め、そして成長するのでしょう。

しかし、キーシンはそれをしなかった。

「しない」とする成長。

その成長過程に一般人とは違う天才たる素養を養われたのだと。