力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

ヴァイオリニスト崔 文洙さんの右手が奇妙で気持ち悪い

崔 文洙さん右手が奇妙で気持ち悪いなどと申して誠に申し訳ありませんが、古流武術を稽古する者にとって気持ち悪いは褒め言葉です。

なぜなら、気持ち悪い原因が普通の動き方ではないから気持ちが悪いのです。

普通の動きは、誰でもが行う当たり前の動きと言えるので、当たり前の動き方は万人が納得する動き方であり、経験済みの動きや予想のつく動きと言えます。それらの動きはその動きから将来どの様に動きが発展していくのかが想像がついてしまいます。(経験的に)

将来の予想がつく動きほどつまらないものはありません。

普通ではない予想のつかない動きこそ、動きを受ける相手にとって驚きの大きいものになるのではないでしょうか?

そんな驚きを隠せないほどの動きは、普通ではなく特殊であり馴染みがないので気持ち悪く感じてしまいます。

 

今だ コロナが収まる兆しが見えぬこの時期にクラシックコンサートに出かける事に躊躇しましたが、妻のお気に入りピアニストが三重県の津にやって来ると言う事で1年半の沈黙を破りドライブを兼ねて県外に出ました。

私もピアニストの背中に興味があるので、座席は最前列の左側下手がお決まりとなります。さすがに音が頭の上を超えていく様子がよくわかりますが、音よりも動きに興味ある私はベストポジションです。

この日も音が頭の上を越えていくことを感じながら、ピアニストの背中を楽しんでいました。

・・・がしかし、予想もしないところが気になりだしました。

ピアニストのすぐ後ろにおられる、コンサートマスターの崔 文洙氏です。

コロナ以前年間を通して2~3回は、大阪フェスティバルホール、シンフォニーホールにて大阪フィルの演奏会を聴きに行く機会があり、崔 文洙氏がコンサートマスターを務める演奏会は幾度かありましたが、今回初めて真下の席から氏を眺めることとなったのです。

真下の席からは、巨体が大きく揺り動く右半身しか見えませんが、演奏に合わせて上下する右手の動きの中に時折脇の下から見え隠れする弓を持つ指先がなんとも奇妙に感じ始め、その手先ばかりに意識が行くようになってしまいました。

何が奇妙なのかがわからないから、気持ち悪いのです。

周りのヴァイオリニストの手先を見ても奇妙な感じはしませんでした。

芸術や武術の「術」の字に込められる意味として、人知を超えた不思議な技が「術」の本質を示していると思っています。

この人知を超えた不思議な技の一つが氏の右手先に表現されていると。

人知を超えているので理解することはできません。しかし、感じ取ることはできるのです。

そこが「術」になしえるところなのでしょう。

術を表現する者にとって凡人が理解できる事をしていても術にはならない。そして術者が行っていることは普通のことではないので普通の人には理解できないのです。

この理解出来ない事こそ魅力の本質だと思います。

演奏後の挨拶時、そんなことを思いながら氏に対して拍手をしていたら、氏は私の気持ちに気づいたようにアンコールでは、私に向かって演奏してくださいました。

そんな気遣いも魅力の一つですね。