力を抜く身体目指し古武術稽古

脱力したら体は動かない、きちんと体を動かせた時力の存在は無くなる。そのために構えを創る事に全力を尽くそう。

理・美容師さんの気になる身体の使い方

いつもお世話になっている理容院で、会話が苦手な私は目をつぶって黙っているタイプで、たまにカットをするオーナーが話を振ってきた時は反応しますが、あまり話をしない難しい客だと思います。

カットの間は半分寝ていますが、その半分はオーナーの身体の動きをモニターしています。(オーナーはその様なことをされているとは露知らず)

目をつぶってただ座っているだけで、オーナーの体の動きの気配とはさみの接触した感覚を頼りに相手の動きを感じ取ります。

動きの気配からは距離感や重心の位置、体の傾きやねじれ具合が感じられ、はさみの接触感からは、毛先の断面のイメージ、はさみとオーナーの重心との距離感などです。

いろいろな部分をカットする時にオーナーの身体は当然動きます。

その動きとその時の重心位置から、いま体重が左脚に乗ったとか、体に対して腰が引けたとか、何か複雑な変な格好をしてそうだとか想像します。

また、はさみの触れ具合から力の強弱、手と重心との関係を感じ取ります。

はさみの違いによる力加減やカットし易い部分とし難い部分をイメージしたり、手と重心の距離が近づいたり離れたりを感じ取っていると、切初めと切終わりで手と重心の距離が変わったりした時、髪の毛が引っ張られ、鈍い音を感じたりします。

目をつぶっていても結構いろいろな情報が得られます。

ただし、そんな事をしているのは変態オヤジぐらいで普通は気にしません。

普通は感じ取る事は出来ても無視するから気になりません。

しかし、身体はその様な情報処理を本人が気にするも気にしないもにかかわらず行っています。

パソコンに例えるとOSがバックグランドで動いていてCPUに負荷がかかっている様な状態です。

その様な情報処理をする必要がなければ、負荷は軽くなります。

理容院のオーナーが余計な情報を与えなければ、今以上にリラックスしてカットを受けてもらえるのではないでしょうか。

そのためには、重心の位置がブレないことが重要です。

手の位置と重心との距離が頻繁に変わると、その差を感じやすくなるので、手と重心との距離を変えないでカットしたり、また重心線自体が体の中や外にと揺れ動くと気配が強くなるので、重心線の位置を変えずに態勢を変えることが出来れば、よりリラックスしてカットを受けて貰う事が出来るのではないでしょうか。

そんなカットしてもらったらすぐ寝ちゃいますね。

 

 

 

 

 

口伝とはタイムマシンのキーワード2

日本人は1200年前からTime Machineの存在を知り、利用してきた。

ただし過去の物事の再生専用ですが。

浦島太郎の玉手箱ではなく、口伝と云う曖昧そうな伝え方が当時の空気感まで表現しうるぐらい正確に当時の事柄を再生することが出来るのです。

このTime Machineの再生にはキーワードが必要であり、それが口伝の内容です。

このキーワードは難解であるためなかなか理解できません、ですから再生できずに消えてしまったTime Machineも数多くあったでしょう。

(また、一応形だけ残っているが機能しないTime Machineもあるようです)

今この世の中に口伝で伝わる技などは奇跡に近い存在です、そしてこれらの存在は口伝の内容を何回も何回も反芻することでキーワードのなぞを解いて来たのでしょう。

その謎解きの期間が20年と考えて良いと思います。

一代で考えられる期間はそう長くはないと思います、それ以上長くなると次の世代になってしまいます。

ですから春日大社の式年造替や伊勢神宮式年遷宮も20年が丁度良いと個人的に考えます。

また、伝えるべき事はお社の造り方ではなく、造り方の技ではないかと思います。

設計図を見れば誰でも出来るものではなく、それなりの技術を持ち合わせなければ設計図の意味を成しません。

ですから20年の間にお社が創れる技術を受け継がれるよう日々精進されているのではないでしょうか。

その様に考えると技術の継承に20年が必要だとする見方も出来ます。

技が伝わるためには最低20年。

20年の間日々謎解きをし、解ければ次の代に口伝で繋げる。

そんなことを60回も繰り返すなんて凄すぎます。

目まぐるしく変化する今の時代に20年は余りにも長いようですが、長い目で見れば当然の期間ではないでしょうか。

昨今、簡単がもてはやされています。

今日から貴方も〇〇〇、明日から使えるテクニックなど、ネットを見ていると見受けられますが浅はかな感じがします。

技を高めようと思えば、石の上にも20年は覚悟しなければならないのでは無いでしょうか。

口伝とはタイムマシンのキーワード

奈良の春日大社は、今年第六十回の式年造替(しきねんぞうたい)を迎えました。

二十年に一度、神様の居られるお社を建て替える行事です。

20年に一度の行事が60回続いているって凄くないでしょうか。

1200年間途絶えず、また当時から変わらず行事を執り行なわれる事と以前と同じお社を造る事、両方ともが続いている事が素晴らしいですね。

特に宮大工が造るお社には設計図がないことを聞いて驚きました。

普通に考えると代々続けるためには綿密な設計図を残し、次回に備えているように思えそうですが。

まして、20年だと一人の職人が1回よくて2回携われるかと云うような機会の作業を口伝で伝えているのです。

大切なノウハウを盗まれないように配慮する事も解らないでもないですが、1200年も繋がっているということは、最良の伝え方であることは時が証明しています。

一見あいまいな伝え方のようで、途中で違う伝わり方になったりして、口伝えだけの情報だけで正確に伝わるものなのでしょうか。

大切なことは、伝えられた内容をどの様に解釈するかが重要ではないでしょうか。

特に言葉は抽象的になり易いので、解釈にばらつきが生じてしまいそうですが、そこを正確に読み取る能力が必要になります。

一度聞いた言葉を繰り返し繰り返し反芻するうちに、初めに聞いた時と違う感覚が芽生え始める。

一つの言葉について受け止める感覚が変わってくる瞬間があります。

受け取り方が、初めと180度違うこともあるでしょう。

口伝で伝わる情報は、パソコンでいうと圧縮ファイルみたいなものでいかに解凍を正確に行うかで出てくる結果か変わってきます。

圧縮ファイルを表面的に見ていると、解凍した時と全く違う情報になってしまいます。

そのところをより深く読み取ることで過去の情報が生のように再生されます。

これはまさしくTime Machineとしか言いようがありません。

口伝に含まれる情報を正しく解凍できた時、まさしく生の情報が再生され過去と寸分変わらず全く同じ状況を再現することが可能となるのです。

技の伝承とは過去に経験され、そこから導き出された言葉の断片の意味を反芻う

することで同じ境遇に至る過程が、正しく解凍する作業といえるのではないかとおもいます。

一つの言葉を聞いて百を知るために、その言葉の意味を考えて考え抜き、身体的表現ができた時、Time Machineが作動した時となるのでしょう。

Time Machineが作動したとき、設計図がそこに現れるので設計図が必要ないのかもしれません。

設計図は口伝というTime Machineの中に隠されているように思います。 

 

 

 

 

お辞儀も技の一つ その2

お辞儀をする人の横から他の人が腕に巻きついた(抱きついた)状況があったとします。

 

普通はこの状況からお辞儀をしようとすれば、巻きついた人が邪魔になり体を前方に倒すことが出来ません。

 

しかし、協調されたお辞儀が出来れば巻きついた人共々前方に体が倒れ、巻きついた人はそのまま前下方に崩れてしまいます。

 

普通は巻きついた人に制御されてしまいますが、強調されたお辞儀は人を制御することが出来るのです。

 

見た目にはほとんど違いはわかりませんし、科学的分析に対しても評価が大変困難となるでしょう。

 

違いのポイントは、動き方に対して動きを感じる感覚をコントロールしていることです。

 

普通のお辞儀は、腰を折りますので腰を中心に上半身が回転運動を起こします、すると腰の部分の回転速度と肩の部分の回転速度に違いが生じます。

 

また、腰が動き出してから肩が動き出すまでにタイムラグも生じます。

 

腕に巻きついた人は、これらの速度差や時間差を感じ取る事が出来るので、経験的に動きの予測がつき、その予測に基づいて態勢を整え安定した状態を自然に作り出します。

 

結果的に腕に巻きついた人は動きの予測をし、その動きに対して安定するように対応しているのです。

 

ですから、動けば動くほど人は安定しようとしますので余計に動きを制御されてしまいます。(安定する力以上の力で動けば動きますが、それは技ではないと思います)

 

逆に協調されたお辞儀は、予測が困難な動きといえます。

 

上半身が前方に倒れる動きは、腰の回転運動の結果倒れるのではなく、腰、背中、肩、首や頭など上半身のそれぞれの部分がそれぞれ下方に動きます。

(下方に動くと同時に前方に重心移動が起こるので、動きは、下方と前方の合成された前下方となります)

 

また、下方に向かう移動距離はそれぞれ異なります。

 

単位時間あたり、腰は少ない距離ですが、頭はたくさんの距離を動く事で真っ直ぐ上半身が倒れることが出来ます。(それぞれの部位の動き出すスタートが一致し、それぞれが同時にゴールする動き)

 

このように同時にそれぞれが異なった動きをして一致した結果上半身を倒すことが出来ると回転運動が直線運動に近づき、直立した位置から前屈した位置まで最短距離で移動することが出来ます。

 

(上半身のそれぞれの動きが直線的に動くためには、胸の働きがなければ真っ直ぐ動くことが困難ですがそれは後ほど・・・)

 

この様に無駄な動きを排除し直線的に動くと速度差がなくなり、それぞれが同時に動き出すと時間差もなくなります。

 

人は速度差や時間差などを頼りに、動きの感覚を感じ取りますが、速度差や時間差が感じる前にいきなり動かれると、どのように動いたのか混乱してしまい対応できなくなってしまいます。

 

対応できないということは、動きに予測がつかないのでどのような動きに対してどのように体勢を保持すれば良いかが理解できないままに、抵抗もできず動かされるままに動かされてしまう結果となります。

 

お辞儀をする上半身は全てが下方に動き、上半身が前方に倒れるため重心が前方に移動します。

 

したがって、腕に巻きついている人共々下方と前方の合成された前下方に倒れていきます。

 

感覚として力ずくで倒されると、引っ張れれたと感じ取ることができますが、強調した動きで動かれると、何が何だかわからないが倒れてしまった様になります。

 

申し訳ありません。

 

よくわからない説明になってしまいました。

 

結局、力を入れなくても人を動かすことが出来る一例を挙げたっかったのですが。。。

 

そうゆうこともあるってことで、終わります。

お辞儀も技の一つ

頭を下げることを会釈といい、深く上半身を曲げるとお辞儀といいますが、きちんと出来ているでしょうか。

 

頭を差し出す行為は、相手に対して敵意がないことを表しているそうですが、その頭を下げる行為で自分の気持ちが相手に伝わらなければなりません。

 

形だけのお辞儀と心からのお辞儀は、動きに違いがあり、違いを動作で表すと、形だけでは身体の表面しか動いていないのに対して心からでは体の奥深い部分から動き出している違いがあります。

 

動かし易い首だけをペコペコと動かす動きは、動かし易く、表面的な少ない筋肉群だけで動作することが出来るので楽に行うことが出来ます。

 

表面的な動きは、動作に深みがなく薄っぺらい動きに見えます。

 

一方で、体の奥深い部分を使う動き方は、多くの筋肉を動かし連動させなければならないので簡単にはいきません。

 

そして、上半身を曲げる為にいろいろな部分が動きに参加して初めて連動となります。

 

ですから、腰を折るだけで上半身を曲げることは出来ますが、この単純な動きは表面的な動きと変わりません。

 

心からのお辞儀は、身体的にも高度な動作になるので難しいです。

 

高度な動作とは、動きの連動が複雑でまたそれを同時に行うことです。

 

お辞儀をする時は、腰が前に曲がり、同時に背中も前に曲がり、同時に首も前に曲がる(三つのことを同時進行することは結構大変です)と腰だけが前に曲がる動作とでは同じように見えるのですが、なんとも云えないまろやかさが現れます。

 

背骨が一個ずつ少しずつ動く前屈みと腰だけが一気に動く前屈みでは違うのです。

 

しかし、現代科学ではこの違いの評価はまだ出来ているようには思えません、また芸術性の評価も同じでしょう。

 

また協調されたお辞儀は、重心が前方に移動します。

 

単純なお辞儀は、動きがばらつくのでバランスを取る作業を行うため重心が固定され重心の位置は動きません。

 

これが意味することは、お互いお辞儀をする時などの場面で、先に強調されたお辞儀をすることで相手の懐に入り込む(重心が相手に近づく)ことで相手の動きを先に抑えることになるので、相手の動きを制止することになるのです。

 

お辞儀は、敵意がない証であると共に自己防御でもあると思います。

 

ビジネスの場でも協調された美しいお辞儀を相手より先を取ることで、そこで相手より一歩リードしたことになり、また相手に踏み込むことで有利に立ち回ることが出来るのではないでしょうか。

 

相手より先に美しいお辞儀を心がけましょう。